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悪質な無断駐車に腹が立つ [仕事のこと]

 今朝のこと、畑へ野菜の収穫に行ったら、軽トラを置く場所に、3ナンバーの大きな車がデーンと停めてあり、置くことができない。
 やむなく他人の隣の畑に一部入れ込んで停めた。
 ここは細い田舎道で道路舗装面から90cmほどが公用地となっており、あと50cmほど畑を潰して軽トラを置けるようにしている。
 お隣の畑の方にも軽トラを置いていいよと言ってある。長さ10mほどだから、軽トラ2台でいっぱいいっぱいとなる。
 この畑の斜め向かいに単身世帯用のアパートがある。駐車場はいつも満杯に近い感がする。以前にもあったが、軽トラを置く場所にアパートの住民が車をときたま置いていた。
 そのときは畑まで食い込んでの駐車ではなく、軽トラが停めにくかったが、まあ許そう、そう思っていた。
 ところが、最近、大きな車であろう、畑にさらに50cm近く踏み込んで耕地を踏み固めてしまっている。轍が幾つか残っており、度々のことだ。
 ひょっとすると毎日かもしれない。今朝、発見したとき、頭に来た。
 そこで、農作業終了後、家に帰ってメモを作り、再び畑に行って、そのメモをワイパーで挟んでおいてやった。
 “~しないでください。”とソフトタッチで書いておいたものの、再び停めてあったら“警察に通報するぞ”と書いてやろうか。あるいは、大きな紙に注意書きして糊でベッタリ貼り付けてやろうか。
 そうでもしないことには腹の虫が落ちつかない。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
 詳しくは、下記の記事をご覧ください。
    クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
 小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
 

どうしようもない本を買ってしまった [仕事のこと]

 経験は物を言う。数え年70歳になった小生は、まだ若輩者ではあろうが、それでも、やはり経験の重みを感じており、それが自信につながる。
 さて、ある高名な医師の食事健康法をいつか買って読もうと思っていたのだが、それが延び延びになり、やっと先日買うことができた。経験豊富なベテランの医師であり、得るものが多かろうと期待し、早速読むことにした。
 例によって、ざっと読む。200ページ弱だから1時間で読めてしまった。それも、最初から赤の蛍光ペンや赤ボールペン(これはおかしい、間違っているという印)を幾箇所も引いてしまった。いつもなら、何も書き込みしないで、2回目にじっくり読むときに、蛍光ペン3色で色分けしながら書き込むのだが、今回は違った。
 一回り読み終えて、“どうしようもない本を買ってしまったなあ。こんな本は何の役にも立たん。捨ててしまおう。”と一瞬思った。加えて、その高名な医師が著者かと思いきや、いやいや単に監修しているだけで、著者は“お抱え出版社”のように思える会社となっている。こういう手抜き法もあるのだ。初めて知った。
 まあ、その方は、本が発行されたときに76歳にはなっておられ、お忙しい方だから止むを得ないかもしれないが、ちゃんとチェックしろよ、と言いたい。もっとも、ご本人が“これは正しいのだ!”と思い込んでおられるかもしれないが。
 加えて、1つの文章は内部矛盾を起こしていて、意味が通じない。編集者2人の氏名が書かれているが、何をやってるんだ、と言いたい。
 いつもだったら、“こんなどうしようもない本は捨ててしまおう”となるのだが、ちょっと待て、である。
 先日、ある新聞で、名前は忘れてしまったが、経験豊富な文筆家が次のようなことをおっしゃっていた。
 「この世には、どうしようもない本はないが、どうしようもない読み手はいる」
 となると、小生は「どうしようもない読み手」となってしまうから、本は捨ててはならぬ、もう1回り熟読しよう、と読み始めた。そして、黄色の蛍光ペン(これは面白い、初耳だ)を幾箇所か塗った。
 経験豊富な方が監修されているから、黄色の蛍光ペンを塗った箇所は間違いなかろうと思うも、裏を取らねばと、初耳の箇所についてネット検索を重ねたが、“これは早とちりだ。ピントがずれており、間違いだ。”となってしまった。
 これじゃあ、やっぱり“どうしようもない”、弱った弱った。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
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今年の秋雨前線に腹がたつ [天気]

 今年の9月は11日以降、まあ雨がよう降りやがる。
 18日の神社大祭は雨にたたられたし、25~26日の北陸山中温泉1泊旅の2日目の魚釣りは雨で流れた。その後、晴天になったら平日に魚釣りに行こうとするも、そんないい日は全然やって来ない。
 百姓仕事も雨だと翌日も畑に入れず、畑起こしや畝立てができないから、延び延びになる。もう晴れるだろう、もう晴れるだろうと、いくら待てど、その気配は全くない。
 時期が来たからと、止むを得ず小雨の中で重たい土を動かし、畑を起こしたり、畝立てしたり。しかし、鍬に土がへばりついて思うに任せない。
 うんざりする9月の中下旬であった。それがまだ続く。10月になっても相変わらずで、明日4日は台風前にもかかわらず、どういうわけか丸一日晴れそうだが、その後は、元に戻るという週間予報だ。
 梅雨よりも梅雨らしい今年の秋雨前線には腹がたつ。
 で、今年の秋雨前線は、どの程度のものか、過去にあったかどうかを調べてみた。
 岐阜気象台に、1961年以降の旬別日照時間累積値が出ている。20時間未満の記録を拾ってみた。
 なお、旬の日照時間が20時間未満とは、お日様が出ている時間が1日平均2時間未満ということであり、1日丸々晴れた日があったら、残りの9日間は平均1時間未満しか日が照らないという計算となるから、梅雨時でも珍しい現象である。
  1970年 9月下旬 17.8h
  1979年 9月下旬 14.5h
  1983年 9月下旬 13.2h
  1998年 9月下旬  3.2h
  2016年 9月中旬 10.9h
           下旬 18.5h
 どうだ、これは。あったとしても、こんなに日が照らないのは10年に1回、9月下旬だけである。旬が連続したのは過去に例がないのである。
 いいかげんにさらせぇー、お天道様よ!

<備考:この“腹たち日記”の目的>
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電車内での携帯電話自粛アナウンスにカチンときた [公共]

 4日前になるが、往きの電車内で例によって「携帯電話の使用はご遠慮ください」のアナウンスがあった。
 ところが、帰りの車内放送では「携帯電話はご使用にならないでください」であった。
 「遠慮」とは大違いの物言いである。
 これにはカチンときた。「使うなとは何事ぞ」である。
 そもそも、こんな文化があるのは日本だけだと聞く。
 たしかに列車内という居場所を変えにくい状態において、耳障りな声が周りから聞えてくるのは不愉快であり、そこにいる人に迷惑にならないように、というのは常識であり、社会道徳でもある。
 ところが、いい年こいたおばちゃん連中が大声でわーわーしゃべくり、馬鹿笑いまでしているのはおとがめなしとしていいのだろうか。よっぽどこちらのほうが質が悪い。
 「携帯電話の使用はご遠慮ください」と何度もアナウンスするのであれば、それに引き続いて「また、他人の迷惑になりますから、大きな声でしゃべくったり、高笑いなさらないでください」としっかりアナウンスしていただきたいものだ。
 小生が電車に乗ったときは、携帯電話はマナーモードにしておくが、時折電話がかかってくる。それは、女房も出かけたりしていて自宅なり店に誰もいないとき、携帯電話へ転送をかけておくからだ。
 そうした電話には出なければならない。そして、出たとしても事情を話し、簡潔に電話を切ることにしている。当然に、大きな声は出さないし、高笑いなぞ絶対にしない。
 これが周りの人にどうして迷惑になろう。
 頭にカチンと来ても、たいていはもうその日に忘れてしまうのだが、今回は2、3日前にも思い出したし、4日も経った今日も思い出した。
 嫌なことは早々に忘れたいから、こうしてキーボードを叩いたところである。
 いいかげんにせえ!

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辟易する日本人の匿名性 [公共]

 日本人は自分を語ろうとしない。何か物を言うに当たっては、自分の名前は出さず、匿名にしたがる。
 これは、個人情報の保護が喧しくなって、よりひどくなったのではなかろうか。
 加えて、ネットでの発言はほぼ全部が匿名で、これが正しいという風潮がある。
 こうしたこともあるからであろう、小生のブログでは無料健康相談をしているのだが、相談メッセージが入ったもののメールアドレスが書いてない。これじゃあ、返事の書きようがないではないか。
 何でだろうと思って、自分のブログのメッセージ欄をクリックしてみた。そしたら、メールアドレスは必須項目になっていない。
 まあ、そうした配慮も分からぬではないが、匿名性に犯された方々はメールアドレスを入れようなどとは思わないのであろう。
 すでに数日経ったが、その方から、返事が来ないがどうなっているのか、といった再メッセージも来ない。
 やりきれない思いだ。
 ところで、最近、アメブロには困惑している。アメブロでもブログを立て、月に1本ほど真面目な記事を書いている。それにコメントが何本か付くようになった。
 いいご意見がいただけたのではないかと、早速開いてみるも、なあんだ、というコメントばかりだ。
 ろくに中身も見ず、単に自分のブログを見てほしいとのお誘いである。どうせそのブログも匿名だろう。
 ふざけるのもいいかげんにしろ!である。
 小生はどのブログにも住所氏名電話番号を入れている。自分を語り、意見コメントには自分の反証をきちんと書くようにしている。
 これが常識ではなかろうか。どこのだれだか分からない輩が無責任な記事を書いているようではネットを汚すだけである。
 正しいことを書いたがために身の危険を感じる、というご意見もあろうが、これは遠い昔から将来にわたって人間社会の常であり、それを恐れていては世の中何も変わらない。
 自分の命を賭けて訴えるしかなかろうに。それが原則だ。
 匿名で物を言うのは、もう止めにしてほしいものだ。

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農作業ができずイライラ! [仕事のこと]

 年を食うと筋肉・関節が衰え、ちょっとした負荷が掛かっただけでも、それに耐えられず、炎症を起こし、痛むようになる。
 ところが、四十肩は40歳から付き合っているが、こちらはここ1、2年軽くなっているから不思議なものだ。
 今回は右手首の炎症であるが、過去に患った筋肉・関節の炎症を日記から紐解いてみた。
 2012.9.6&2013.6.14 あばら骨の打撲(64歳)
  これは、胸をフェンスなどに強く押し付けたがために骨が痛くなったものである。完治するのに何か月も掛かった。2回もやったから、その後は気をつけている。
 2014.7.30 右足首の軽い捻挫(65歳)
 これは、当店新聞・チラシのポスティングを自転車で行うに当たり、乗ったり降りたりを繰り返し、そのとき何度も右足で地面を蹴るから、急いでいるときは強く蹴って右足首に負荷が掛かりすぎ、足首を痛めるのである。
 これは、50歳前後に幾度か既に経験しており、地面を強く蹴らないようにしてきたが、今回、ほんのちょっと気が焦ったのであろう、足首に鈍痛がするようになり、これも完治にかなりの日数を要した。
 2014.10.18 上腕の筋肉痛(66歳)
 これは、上腕筋肉の軽い肉離れであるが、原因不明である。これも完治に数か月を要した。
 2015.1.4 右手人差し指の打撲(66歳)
 テントをたたむときにパイプで指先が強く挟まったもので、腫れあがるほどになった。指先が曲がってしまったのはいいとして、一年経っても指に力が掛かると鈍痛がする。
 今回=2015.12.6 右手首の炎症(67歳)
 休耕田に半分残っていたコスモスや雑草の引き抜きや刈り取りを鎌を使って2時間ほどけっこう力任せに作業したところ、手首に炎症が起き、翌日以降、開店時に重いシャッターを上げるときに痛むし、鋏を力を入れて握ったときも痛む。これは日にち薬でそのうち治るだろうと高を括っていたが、どれだけかよくなったもののいまだ完治しない。

 それがために、1月中下旬に予定していた農作業、それは切り株の掘り起こしと果樹の剪定であるが、これができない。
 ここは諦めて手首が完治するのを気長に待てばいいのだが、それが分かっていても、気分は落ち着きを忘れている。
 こうなると、物事は何もかも悪い方へ悪い方へ考えてしまう。
 宗教法人の登記事務手続きという余分な仕事を片づけねばならぬが、どこから手を付けたらいいんだ。
 前年の決算を打とうにも請求書が1箇所まだ来てないから事務処理が思うように進まないじゃないか。
 女房が風邪を引いてガラガラ声だから、ここ何日か客や電話の応対は全部一人でせねばならず、これじゃ何もできないではないか。
 寒波が居座って外仕事がストップさせられ、日にちだけが経っていくぞ。
 あーあっ、やってられない。
 腹がたつ、腹がたつ、腹がたつ。
 
 ここまで書き綴って、少し冷静になれました。
 「なるようにしかならん」のである。もし農作業が1か月遅れたら何か取り返しのつかない問題でも起きるの? 別にどってことないわ、である。
 暇な時間ができたのから、今回のような外傷を二度と負わないよう、軽作業で百姓できる方法をあれこれ勉強すればいいのである。
 よし、そうしよう!

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メタボに引っ掛かると就労できないとは! [医療制度]

 2、3日前に、50代の女性からメールで相談を受けました。
 パート先の健康診断で昨年に続き脂質異常症と診断され、その会社の就労規則では、1項目でも引っ掛かると、医師から就労可能という書類にサインをいただかないことには再契約してもらえないとのこと。
 こんなむごいことをする会社があるとは。
 相談内容は次のとおり。

 昨年は、ある病院でサインをもらったものの、後日、血液検査を受けることを約束すれど、これをすっぽかしたがため、今年は他へ行くしかなく、別の開業医に行ったら、大変なことになった。
 ①医師から、ものすごい剣幕で「コレステロールを高くする卵は食べちゃいかん」と叱られた。
 ②コレステロール降下剤を処方され、ひどい副作用が出た。
 ③1か月後に血液検査を受けろと言われ、それに従ったところやはり、結果はアウト。
 ④やっと就労可能という書類にサインをいただけたが、副作用を告げると、別の薬を処方され、これもかなり副作用が出る。

 来年の会社の健康診断が今から気になり、どうしたらよいか、という相談です。
 先ずは、この医師、高コレステロールと卵に因果関係が全くないことをご存じない、やぶ医者。
 この方のコレステロール降下剤を1か月飲んだ後の値は、HDLコレステロールが適正値(119)より3割強高めで、境界域を突破しています。薬を飲む前の値は聞いていませんが、もう少し高かったことでしょう。
 でも、本来の基準値(東海大学医学部名誉教授、大櫛陽一氏作成)は186ですし、日本人間ドック学会が2年前に出した数値も183で、これよりは1割低く、何ら問題はないのです。
 女性は更年期を過ぎればコレステロール値が急激に上がることは医者なら知っているはずで、現行の基準値が間違っているのも分かるはずです。
 しかし、やたらと薬(毒)を盛る日本の医者。コレステロール降下剤にあっては、世界生産量の6、7割を日本人が消費させられ、それも更年期過ぎの女性に集中しています。
 厚労省、医師会、製薬会社がグルになって毒を盛り続けるという、世界に例のない日本です。
 こんなことが許されていいのか!!
 加えて、一般の企業までもが、毒を飲まなきゃ雇用しないと言うのですから、たまったものではありません。

 さて、相談を受けたものの、なんとアドバイスしていいやら。
 ご本人もおっしゃっておられましたが、理解あるお医者さんを探すしかありません。
 はたして、そのような良きお医者さんが見つかるかどうか、小生も祈るしかありません。

 悪がはびこり、善がひっこむ現世。
 特に医療の世界は目を覆いたくなります。
 寝たきり老人がいるなんて日本だけです。これ、本当ですよ。西欧先進国も、米国も、日本のように病院が寝たきり老人でいっぱいなんて全くないのです。自宅での寝たきりもなし、です。
 日本が寝たきり老人でいっぱいになる大きな一因が、コレステロール降下剤という毒と高血圧のレッテルを貼られて飲まされる降圧剤(これも毒:世界生産量の5割を日本人が消費)です。
 健康人を毒で病気にさせ、膨大な医療・介護需要を生み出し、医療・介護業界が潤うという、何でもいいから需要を生み出せばよいという資本主義経済の魔物に皆が操られ、分かっていても悪事を働くしかないという悲しい現実。
 医療制度を抜本的に正すとなると、病院は倒産、開業医は夜逃げ、製薬会社も倒産しますし、要介護者も減りますから介護業界も同様な運命になります。これにとどまらず、医療・介護需要の激減は全産業に波及し、あらゆる需要の減少を招き、日本経済全体が大幅に萎縮し、失業者があふれ、やがて取り付け騒ぎが起きて金融機関も倒産し、日本沈没。これは世界経済にも波及します。
 これが資本主義経済の怖いところでして、魔物たる所以です。
 善をひっこめさせ、悪を生かし続け、より悪をはびこらせないことには魔物は生きていけない。
 ここまで資本主義経済が発展した今日、ひたすらこの道を突っ走るしかないのでしょうが、どこかの時点で方向転換しないことには、いずれ社会そのものが大破綻するのは必至です。
 そのためには、日本人一人ひとりの価値観の変更が待たれるのですが、これは人生の大転換になりますから、家族を巻き込むことになり、自分一人で決められるものではなく、容易なことではないです。
 八方ふさがり。もんもんとするしかない。
 あらためて相談者のお気の毒なこと、憤懣やるかたない。
 
<備考:この“腹たち日記”の目的>
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「忌明け50日、神社境内に入ってはならぬ」とは何とも解せん! [公共]

 9月13日に氏神様の大祭がある。1年で一番大きな行事であり、小生は神社総代長として事前準備から当日の大役の務めなど随分と責任ある仕事をせねばならない。
 ところが、おふくろが8月8日に死に、忌明け50日、神社境内に入ってはならぬ(当地の風習)となった。でも、大祭協議会の全体最終打ち合わせを8月22日に社務所で予定しており、会場を変更する面倒くささから横着して予定通り神社境内にある社務所で開催したところである。もっとも、鳥居をくぐるのは避け、社務所脇の荷物搬入口から入ることにしたが。
 その協議会において、小生は当日のみならず事前準備で神社境内に入るのも避けるべしとの結論が出て、総代長職務代理を前総代長(今年度は平総代)さんに勤めてもらうことになり、小生は陰で少々手伝うだけとなった。
 小生は総代長としての任務を放棄させられたのである。
 こんなバカな話があるか!である。

 なぜならば、神道の死生観は次のとおり忌み嫌うものではないからだ。
 「人はみな神の子であり、神のはからいによって母の胎内に宿り、この世に生まれ、この世での役割を終えると神々の住まう世界へ帰り、子孫たちを見守る守護神となる。」
 つまり、死は「神の世にお戻りなる」敬虔なものであり、180度意味が違うのである。
 本来ならば、通夜も葬儀も神社の拝殿で行わねば、死んだ人は神々の住まう世界へすんなりとは帰れないであろう。
 それが、どうだ。棺桶をそんな所へ運び込んだら、皆から「罰当たりめ!」と怒鳴られるに決まっている。また、死んだ人が出たら、その家の神棚を白い布で目隠しせねばならない風習となっている。その家の神棚にいらっしゃる守護神は、「死んだお前なんぞ見たくもない、来るな!」と言わんばかりだ。
 死んだ人がこのように神に毛嫌いされたら、とてもじゃないが神の世に戻れそうにないし、守護神にもなれそうにない。
 
 ここまでは死んだ人の取り扱いだが、ピンピン生きている家族までが、「忌明けまでは境内に入るな、神棚は目隠ししておけ」と、忌み嫌われるとは何事だ。家族に死霊が乗り移っており、神は、大の死霊嫌いで「寄るな!来るな!近寄るな!」と言っておられるのであろうか。
 
 小生は、日本人が太古の昔につくりあげた八百万神が好きだ。「好きだ」なんて言うと不謹慎だとまたまた非難を浴びようが、神社にお参りすると真摯な気持ちになれ、何か願い事を頼むのではなくて、今の自分が今の家族がこのように暮らしていられることに、ただひたすら感謝することができるのである。神様のお陰だと。
 だから、おふくろがたった10日間寝込んだだけで何の苦しみもなく大往生したことに対して、神様への報告と感謝のため、氏神様にも神棚の守護神様にもお参りしたいのだが、「神はお前を嫌っているから、参ることまかりならん。」とのことで、小生の希望は叶わぬのである。

 おかしい、どこかおかしい。神はもっと身近な存在であり、当然にして神は死を喜んで受け入れてくれる存在であるはずだ。

 「忌明け50日、神社境内に入ってはならぬ」が当地の風習だが、通常は「忌明け50日、神社に参拝するのは控える」ということのようだ。参拝するには、境内の入り口にある鳥居の前で軽く頭を下げ、境内に入るべしであり、ここから既に参拝が始まっているのだから、境内に入ってはならぬと当地では言われるのであろう。
 そこで、少々ネット検索し、こうした風習はどのようにして決められたのか調べてみた。

 古くは、奈良時代の「養老律令」、江戸時代の「服忌令」などに見ら、 現在の服忌期間の基になったものは明治7年太政官布告「服忌令」のようで、それを引き継いで戦後は神社本庁に指針のようなものがあるようだ。
 神社本庁のHPを見ても何も書かれていなかったが、ある神社のサイトによると、それは次のようなものとのこと。
 忌中(きちゅう)
 故人の死を悼み、御霊(みたま)を鎮める期間
 神事や結婚式、公の行事への出席や派手な行いを控え、慎んだ生活を送ります。
(お祝い事やお宮参りなどの神事は忌明け後に延期します)
※同居家族の場合≪忌明け≫は50日(仏教では49日)
※忌服期間の目安
  親・配偶者:50日、兄弟姉妹・子供:20日、祖父母:30日、おじ・おば:20日、いとこ・甥・姪:3日

 別のある神社のサイトで、一定期間参拝してはならない理由として、次のように書かれている。
 「死」というのは穢れ(ケガレ)でもありますから、死に接してケガレの残っている間は、神社へ参拝しない、神棚も拝まないのです。神前へケガレを持ち込む事はもっともしてはいけないことですから。
 またケガレが他人へうつらないように全てのことを控えめに、慎むということになります。
 神道では、50日間の忌の後には、清め祓いをおこなって、ケガレをとりのぞきます。それ以降は神社への参拝等も通常とおりおこなえます。…
 ケガレとは罪や穢れというように、不潔、不浄というような意味です。ニュアンス的に。漢字でかくと同じになりますが汚れ(よごれ)と汚れ(けがれ)の違いは、ケガレは物理的によごれていることでなく、内面、精神面などの不潔、不浄をいうものです。
 神道、神社は清浄をもっとも大切にしますから不潔、不浄は徹底的に祓い清めます。神社では何かするときには必ずお祓いをしますが、神様にお供えする物や、神様の前に行く人に、不浄なもの、あるいはケガレのない状態でなければいけないからです。
 たとえば神主にも祭典が近づいてくると禊(みそぎ)潔斎(けっさい)があります。神社に篭もり外界との接触を絶ち、食べるものを制限したり、水や塩で身を清めたり、いろいろあります。
 神社へお参りするとき、手水舎で参拝前に手や口をすすぐのは禊祓い(みそぎ)の簡易版ってことです。…
 Q:子供を産んだばかりの女性はケガレていると言われる神社がありました。これはなぜか?
 A:死のケガレと同様に、血のケガレというものもあります。これは血そのものでなく「出血」のことです。…出産にともない出血していますから、産後間もない女性が参拝を遠慮するよう言われるのは、身内がなくなったあとしばらく遠慮するのと同じ理由です。…

 以上のような解説である。なお、当然のことであるが、残念ながら小生の疑問を解消してくれるような解説は見つからなかった。
 では、なぜにかような、あまりに神経質すぎる「穢れ忌避」を神社が徹底的に行うのか。
 これは、現在の日本人の「清潔文化」との関わりが深いことが想起される。
 もう8年以上も前のことであるが、小生の友人N君が著した社会学論文集(単行本にしたら約1300ページ)の中に「穢れ思想」に関した小論文があることを思い出した。
 表題は「3K職場を忌避する日本人」であり、その論点は違うが、その中で井沢元彦氏の著「逆説の日本史」から「穢れ思想」に関しての引用があり、それを部分的に孫引きして紹介しよう。

…「ケガレ」という思想が日本人にはある。…「罪も禍(わざわい)も過(あやまち)も皆同じ穢(けが)れで、悪霊の仕業と考える」-これがケガレ思想のエッセンスだ。これは日本史そして日本人を動かす極めて重要な原理である。…われわれは、他人が使った箸や茶碗に、その人独特の「垢(あか)」のようなものを感じている。これがケガレである。…ケガレ忌避…も、一種の信仰であり宗教だ。…平城京(奈良)に一旦都が落ち着くまでの、たび重なる遷都の理由は、…もちろん、これもケガレのせいだ。死穢(しえ・死のケガレ)を嫌ったのである。…
 そのことを念頭におけば、日本人が割箸を使うことの理由もわかるはずだ。…われわれ日本人は、人が一度使った箸は、洗っても何となく「キタナイ」と思うからだ。すなわちケガレを感じるからだ。…
…日本人は…今でもケガレというものを極端に嫌う「信仰」があり、特に古代・中世において最も嫌われたケガレは…「死穢」であったことだ。…そして、この死穢を嫌うあまり、日常的に死穢に触れる職業は差別の対象となってしまった、という事実もある。
…警察も「罪」という死穢に次いで忌み嫌われるケガレに、日常的に触れざるを得ないうえ、昔の警察は今と違って処刑部門もあるので、当然「罪人の死穢」という「二大ケガレ」に触れざるを得なくなる。こう考えてくると、武士政権以前の日本つまり平安時代の律令政府が、「なぜ公式の軍隊を持たなかったのか」「なぜ死刑制度を廃止したのか」という、他の国には見られない大きな特徴を持っていたことも理解できるはずだ。その最大の理由はケガレ思想なのである。…
…経済的に豊かになると、ハングリーな部分が消え、代わりにケガレ思想が頭をもたげてくる。中国には「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、日本は「衣食足りてケガレを嫌う」のである。たとえば、日本人は「死穢」を最も嫌う。だから、飛鳥・奈良時代は日本が全体として貧しい時代であったにもかかわらず、天皇一代で都を「使い捨て」た。
…文字どおり「平安」な時代になると、天皇も公家も一切武器を手にしなくなり、それどころか国を守る軍隊さえ、「ケガレ」たものとして廃止してしまう。宮中に鳥の死骸が落ちていたので大騒ぎをして、天皇以下キヨメ(ハライ・ミソギ)を行ったというのは、この時代のことである。…ケガレ忌避信仰があるから、「血」や「死」に対する異常なまでの潔癖症となるのである。
 そのために、彼等は政治という「ケガレ仕事」から、次第に遠ざかることとなる。実際行なうのは「儀式」と「歌詠(歌を詠むこと)」だけとなる。…自分たちの権力抗争さえも、自らは「手を汚さず」武士たちを雇って代理戦争させるのだ。…
…日本史における、ケガレ思想の最大の影響は、現実の政治を「ケガレ仕事」と考えるために、それを「不浄役人」に扱わせる、という政治形態ができることだ。これが日本の古代と中世を分けたのである。
…今は平和な時代だから、…若い世代は過度の潔癖症に走る。かつての平安時代の朝廷人がそうであったように。
 しかし、こんな事を続けていては、ますます世界との亀裂は深まるばかりだ。早い話が、潔癖症の若い世代は、外国人を「不潔」だと考えるようになるはずである。外国では、そんな「抗菌消毒」はしていないからだ。…国際的な水準では不潔でもなんでもないものを「不潔」と考えるような人間は、…「不潔な国々」との距離を置くようになる。
 言うまでもなく、これは「差別」の第一歩だ。
 だから、いま日本にとって急務なのは、「耐不潔」教育である。そんな「抗菌消毒」などしなくても人間は充分生きていけることを、初等・中等教育の場でしっかり教えるべきなのだ。そのためには生物学的アプローチもさることながら、そういう「潔癖症候群」の原因はケガレ思想にあり、日本特有の差別の根源であることを、歴史的な知識としてきちんと教えるべきなのである。(孫引きここまで)

 いかがでしょうか。
 その思想は崇高なる神道ではあるが、かようにして生じたケガレ信仰によって極端にねじ曲げられてしまっているのである。
 これでは、八百万神に申し訳が立たないであろう。
 小生思うに、八百万神のお考えは「人間に一切のケガレなし」である。
 こうやって整理してくると、ますます腹たつ「忌明け50日、神社境内に入ってはならぬ」である。

 参考までに、小生の「日本の神々」の捉え方は、次のとおりである。少々長いですが、お読みいただければ幸いです。
(論文「新・学問のすすめ」(平成20年4月) 第3章:思考改革は対称性の論理にあり 第4節:日本社会における対称性の思考 より抜粋)
 古来より日本人は、動植物はじめ自然物も神であり、多くの神々と一体になって平和な共同体づくりをするという「対称性の論理」のもとに、人と自然が共生を図り、豊葦原瑞穂国をつくってきたのである。そして、自然に対する畏敬の念をずっと持ち続けてきた。こうした文化を残している先進国は唯一日本だけである。
 世界には、先進諸外国をはじめ、唯一神を信仰する文化が圧倒的に多い。そうした文化は、唯一神が他の神々を皆殺しにしてしまったがゆえに、個々の自然物そのもの一つ一つに対する畏敬の念は生まれようがない。何か困ったら、手の届きそうもない唯一神にすがるしかないのである。その唯一神信仰の質が悪いところは、人間を生き物の上に置いてしまったことである。
 つまり、自然との共生を拒否したのである。なお、このことについては、同情の余地はある。激しい旱魃などの自然現象に度々苦しめられれば、大自然を恨む気持ちになってしまうからである。
 そして、旱魃を経験する中で大衆化した仏教においても、その傾向が見られる。仏を唯一神にし、ただ念仏をとなえれば救われるとするのは、全くの同類であるからだ。拝む対象は仏像の数だけいろいろあるが、それは唯一神の仏が姿を変えて登場しただけのことであり、神の子イエスと同じである。
 こうした信仰においては、自分と身近な者だけが救われればよいのであって、人と自然の共生は眼中になく、決して自然との共生は成り立ち得ないのである。
 これらの信仰は、唯一神(仏)に全てを任せる他力本願であり、自らが考えることを放棄し、ただひたすらすがるのみという形をとる。ここには、人の思考が働く余地が全くない。唯一神(仏)によって、人は人のこころを喪失させられているからである。
 日本は違う。世界にまれにみる豊かな自然環境が変わることなく保ち続けられたがゆえに、八百万の神を信ずる多神教の世界でずっと暮らしてこられた。こうした世界では、「信仰」とは、神仏にすがるのではなく、単に神仏は存在するという意識があるだけである。
 従って、ことあるごとに、あるときは山の神に、あるときは川の神に、そして、あるときは仏に対して、自分たちがどう立ち振る舞ったらよいのかを、神仏と一体になって考えてこられたのである。 
 そうして得られた結論が、日本古来の独自の神話であり、民話であり、言い伝えである。当然にして地域の自然環境の違いにより、内容が少しずつ異なったものとなり、また、開発に伴う環境の変化に合わせて内容が変化してきているのである。
 そして、あらゆる神仏を敬いつつ、豊穣の祭などを行って、神仏とともに喜びを分かち合うのである。神仏は近寄りがたい存在ではなく、ごく身近な存在であった。こうして、喜びも悲しみも神仏と共有できる、こころ豊かな文化が育まれたのである。
 このように、日本の宗教文化は先進諸外国の民族と全く異なる。極端に言えば、神仏と自己の同居である。
 神仏と自己の同居については、バラモン教の「梵我一如」の思想と共通するものの、これは、人間の理解を超えるほどに両者の距離が離れているから、同一視できない。これよりも、アマゾン下流域を放浪するグアラニ族の思想である「人間は確かに人間であるが、同時に人間にとっての他なるもの、すなわち神でもある。神ー人間、人間ー神である。」というものに、より近いものである。
 日本では、神仏は超越者ではなく、特に、八百万の神々は神社の拝殿という手が届く所にいらっしゃるのであるから、自然の摂理というものも、間近な存在の神々と一緒になって思考し、十分に認識し得たのである。こうして「対称性の思考」が育まれてきたのである。
 この日本文化の思想の本元であえる「対称性の思考」や「対称性の論理」を、今一度復活させる必要を痛感する。
 小生が思うに、そうした認識の集合が大自然の摂理であって、大自然の真理であり、これは、一神教の世界の人々のように人の知恵では到底分かり得ないものと考えるのではなく、多神教の世界の人々はその思考力でもってその多くを知る得るというスタンスを取ってきたのであろう。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
 詳しくは、下記の記事をご覧ください。
    クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
 小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
 

野菜泥棒の被害に遭うも“腹たち”が生ぜず [事件]

 5月21日に野菜泥棒の被害に遭った。2年目になったニンニク栽培。本格的に栽培を始め、6月になったら順次収穫しようと考えていた。
 そのニンニクの過半が盗まれてしまったのである。今年の1、2月頃に、「ニンニクは高価につき、野菜泥棒の被害にけっこう遭う」という話を地元の人から聞き、少々心配していたのだが、まさか、である。
 畑に行ったとき、“あるべき所にあるべき物がない!”。これを見知ったときには、“ああっ!!”となったのだが、なぜか怒りや腹たちは湧いてこず、全身の力が抜けて“ガックリ”、意気消沈といった状態であった。
 ここで怒りや腹たちが湧いてこなかったのは、なぜだろう?
 1、2割は収穫しておいたし、無臭ニンニクとマイルド(無臭に近い)ニンニクは無被害であったからだろうか。でも、本命と考えていた2品種は残り全部を盗まれてしまったし、まだ青々としていたジャンボニンニクは全く収穫しておらず、100%が盗まれた。
 あれから2か月経つが、面白くないという気持ちは残っているものの、いまだ怒りや腹たちは湧いてこない。不思議だ。今年の2月には他の方の被害に腹がたったのに。
 この心境に変化、きっと心境の変化だと思うのだが、その理由を強いて挙げれば、毎日楽しかったことを思い出し、別立てブログで「一日一楽日記」を綴るのが習慣になっている、これしか考えられないような気がする。
 また、「怒ってはいけない。怒ったら自分が損するだけ。」ということも肝に銘じようとしているから、ここのところ自分が怒った記憶もない。
 「気の持ちよう」が“進歩”した、これが本当なら、実に有り難いことである。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
 詳しくは、下記の記事をご覧ください。
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他人事だが野菜泥棒には腹がたつ [事件]

 うちの畑は滅多に野菜泥棒に狙われないが、多くの農家が被害を大なり小なり受けている。その嘆きを聞くこと度々。なかにはとんでもない泥棒もいる。
 うちでは、過去に里芋の種をごっそり盗まれたことがある。形のいい、やや大きめの小芋を選んで畑に直植えしておいた。ところが何日経っても全然芽吹かない。どうしたものかと植えつけた所を掘ってみると芋がないのである。腐ったわけでもない。1畝ごっそり持って行かれた。これは、植付けしているところを見ていた奴が盗んだのであろう。
 お隣さんの場合は、道路側にエンドウ(絹さや)の一部を種取り用に残しておかれたのだが、そろそろ種取りしようと思ったら、全部なくなってしまっていたとのこと。乾いた豆を取っていってどうするんだろう?
 昨日、昔勤めていた職場の先輩が久し振りに訪ねてくれた。彼は退職後、野菜作りにはまり、いろいろな野菜を栽培してスーパー直売場に出荷している。けっこう広い面積の畑作である。
 その彼の所も、かなり野菜泥棒にやられているようであるが、うち辺りのこそ泥と違って、専門業者のようだ。ジャガイモ全部、軽トラ一杯、100kgといった大掛かりな被害であったり、ネギ1畝50m全部盗まれるといったもので、しょげておられた。
 以来、畑の回りに網を張ることにされたそうだが、入ろうと思えば入れるから気休めにしかならないと言っておられた。うちの辺りの専業農家の方の中には、そうしておられる所が目立つ。
 けっこう効果があるかもしれないが、うちの畑は細長いから網を張るのはとても無理な話だ。
 さて、今年、うちが心配しているのは、ニンニクである。種球の購入に8千円ほど投資し、広幅の1畝に作付けしている。道路からよく見える場所だ。ところで、最近聞いたのだが、1kmほど離れた畑の方が、一昨年ニンニクを全部やられてしまったとのこと。
 昨年10月に本格栽培しようと、6種類のニンニクを植えつけ、施肥、刻み藁敷き、籾殻振り掛け、草引きと手を掛けてきたニンニクであり、6月の収穫を楽しみにしている。これがゴッソリ盗まれたら、…ゾッとする。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
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