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マイナカードに公金受取口座を紐付けしたのに、振込口座を書かせるし、通帳のコピーまで附けさせる。なんで?! [公共]
我が町役場には、敬老祝い金制度がある。満75歳で5千円、80歳で6千円、90歳で1万円の支給。これを役場吏員が持ってきた。封筒に詰めたその申請書類一式を。
たいした金額じゃないが、いただけるものは拒否する気はない。誰だって。一人だって「そんな金は俺はいらねえ」という輩はいないだろう。
ゆえに、なんで申請せねばいかんのだ。該当者は住民基本台帳で完全把握されている。だから、役場吏員が来るとすれば、申請書類を持ってくるのではなく、「あんた後期高齢者になったよ。些少ですが祝い金を差し上げます。」と、金一封を持って来りゃええんだ。
役場吏員が現金を持って歩くのはまずいと考えるのであれば、マイナカードに公金受取口座を紐付けせえと役場がうるさく言うから、そうした手続きをしてあるんで、口座振り込みしてくれればいい。
しかし、振込口座を書かせるし、通帳のコピーまで附けさせる。なんで?!
何をバカなことをやってんだ、役場は、である。マイナカードが泣いているぜ!
そんなことから、申請書の余白に、朱書きで、その旨お小言を書きなぐっておいた。
これで、“腹たち”もけっこう収まった。やはり、怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう!である。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ところで、「腹たち」しなくする良い方法があります。いつも楽しいことを考え続けることです。それを不動のものにするのが「一日一楽」日記を付けることです。これは別立てブログで毎日書いています。脳トレのため「2日前の日記」とともに。ご参照ください。
薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記
たいした金額じゃないが、いただけるものは拒否する気はない。誰だって。一人だって「そんな金は俺はいらねえ」という輩はいないだろう。
ゆえに、なんで申請せねばいかんのだ。該当者は住民基本台帳で完全把握されている。だから、役場吏員が来るとすれば、申請書類を持ってくるのではなく、「あんた後期高齢者になったよ。些少ですが祝い金を差し上げます。」と、金一封を持って来りゃええんだ。
役場吏員が現金を持って歩くのはまずいと考えるのであれば、マイナカードに公金受取口座を紐付けせえと役場がうるさく言うから、そうした手続きをしてあるんで、口座振り込みしてくれればいい。
しかし、振込口座を書かせるし、通帳のコピーまで附けさせる。なんで?!
何をバカなことをやってんだ、役場は、である。マイナカードが泣いているぜ!
そんなことから、申請書の余白に、朱書きで、その旨お小言を書きなぐっておいた。
これで、“腹たち”もけっこう収まった。やはり、怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう!である。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ところで、「腹たち」しなくする良い方法があります。いつも楽しいことを考え続けることです。それを不動のものにするのが「一日一楽」日記を付けることです。これは別立てブログで毎日書いています。脳トレのため「2日前の日記」とともに。ご参照ください。
薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記
2023-08-08 16:56
コメント(0)
ストレス解消の一方法「怒りは紙に書きなぐる」は効果的です [きっかけ]
2013年10月2日に、このブログを立ち上げ、次のように書きました。
(以下、全文を再掲)
表題:怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
別立てブログ「薬屋のおやじのボヤキ」で、表題の記事を本日(2013年10月02日 )投稿しました。
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ただし、これを読まれる方はたまったものではないでしょうから、公開記事は頭の部分に止め、その続きは非公開記事とさせていただきます。
(以上、全文引用ここまで)
(追記:2014年1月15日)
あれから100日を超えましたが、書いた記事は3本にすぎないものの、書きなぐることによって随分スッキリした気分になりました。
皆さんにも、改めておすすめしたいです。
なお、但し書きしたことを守らず、今までの3本の記事ともに全文を公開にしてしまいましたこと、あしからずお許しください。次回から気をつけます。
(再追記:2019年12月7日)
2013年10月にこのブログを立ち上げて、もう6年が経ちました。広告が入るのを消すために、無理やり「腹たち日記」を投稿しているのが実情です。最近は、それを探せども見つからなくなりました。
と、申しますのは、実は別立てで(クリック) ⇒「薬屋のおやじの“一日一楽”日記」を毎日書いているものですから、これのお陰で、“腹がたつ”ということは滅多になくなったからです。こちらも皆さんにもお勧めします、毎日書く“一日一楽”日記。
(備考)
このブログで一番アクセスが多い記事は、このページでしたので、追記しました。
(以下、全文を再掲)
表題:怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
別立てブログ「薬屋のおやじのボヤキ」で、表題の記事を本日(2013年10月02日 )投稿しました。
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ただし、これを読まれる方はたまったものではないでしょうから、公開記事は頭の部分に止め、その続きは非公開記事とさせていただきます。
(以上、全文引用ここまで)
(追記:2014年1月15日)
あれから100日を超えましたが、書いた記事は3本にすぎないものの、書きなぐることによって随分スッキリした気分になりました。
皆さんにも、改めておすすめしたいです。
なお、但し書きしたことを守らず、今までの3本の記事ともに全文を公開にしてしまいましたこと、あしからずお許しください。次回から気をつけます。
(再追記:2019年12月7日)
2013年10月にこのブログを立ち上げて、もう6年が経ちました。広告が入るのを消すために、無理やり「腹たち日記」を投稿しているのが実情です。最近は、それを探せども見つからなくなりました。
と、申しますのは、実は別立てで(クリック) ⇒「薬屋のおやじの“一日一楽”日記」を毎日書いているものですから、これのお陰で、“腹がたつ”ということは滅多になくなったからです。こちらも皆さんにもお勧めします、毎日書く“一日一楽”日記。
(備考)
このブログで一番アクセスが多い記事は、このページでしたので、追記しました。
ネズミめ、プランターのペチュニアの花びらを食うとは何事ぞ! [仕事のこと]
店頭に花飾りをしている。冬はパンジー、夏はペチュニア&ベゴニアがメインだ。
4月も下旬となると随分と暖かくなり、パンジーに元気がなくなり、アブラムシも付きだす。もう終わりである。
それに代えて、プランターにペチュニアの苗を2株ずつ入れてそれを5プランター、ベゴニアも同様に準備し、3日前に店頭に飾ったところである。
ところが、ペチュニアの花びらがかなり食われてしまう。上段の2個のプランターは大丈夫だが、下段の3個のプランターは、昨日少し食われ、今朝はあらから食われてしまった。
昨日は、虫にでも食われたかな?と思っていたのだが、今朝の悲惨な状態を見て思い出した。去年もそうだったのである。犯人はネズミだ。
ネズミが店内を這いずり回ることがあり、天井裏で駆け巡ることもある。そのネズミが、夜間、シャッターの内側に置いてあるプランターへやってきて、ペチュニアの花びらを食うのだ。今年も被害にあってしまった。パンジーと良く似た花だが、味が違うのだろう、よほどペチュニアの花が好きなのか、ネズミは。
いかにもみっともなくなったペチュニアのプランター。これはシャッターの外側のはずれに置いて、まだ見栄えがいいパンジーのプランターと交代させた。
花を付け始めたら、上段のベゴニアのプランターを下段に降ろし、ペチュニアのプランターは上段だけに置くとしよう。ところで、去年、上段でも被害が少しあったような記憶がある。今年は、そうならないことを祈るしかない。
もし上段もネズミが食うようなら、“この野郎、ネズミめ!”である。
ネズミ退治の餌を置いたり、粘着板を置いたりしているが、子ネズミはかかれど、大人になったネズミは警戒心があってかからない。弱ったもんだ。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ところで、「腹たち」しなくする良い方法があります。いつも楽しいことを考え続けることです。それを不動のものにするのが「一日一楽」日記を付けることです。これは別立てブログで毎日書いています。脳トレのため「2日前の日記」とともに。ご参照ください。
薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記
4月も下旬となると随分と暖かくなり、パンジーに元気がなくなり、アブラムシも付きだす。もう終わりである。
それに代えて、プランターにペチュニアの苗を2株ずつ入れてそれを5プランター、ベゴニアも同様に準備し、3日前に店頭に飾ったところである。
ところが、ペチュニアの花びらがかなり食われてしまう。上段の2個のプランターは大丈夫だが、下段の3個のプランターは、昨日少し食われ、今朝はあらから食われてしまった。
昨日は、虫にでも食われたかな?と思っていたのだが、今朝の悲惨な状態を見て思い出した。去年もそうだったのである。犯人はネズミだ。
ネズミが店内を這いずり回ることがあり、天井裏で駆け巡ることもある。そのネズミが、夜間、シャッターの内側に置いてあるプランターへやってきて、ペチュニアの花びらを食うのだ。今年も被害にあってしまった。パンジーと良く似た花だが、味が違うのだろう、よほどペチュニアの花が好きなのか、ネズミは。
いかにもみっともなくなったペチュニアのプランター。これはシャッターの外側のはずれに置いて、まだ見栄えがいいパンジーのプランターと交代させた。
花を付け始めたら、上段のベゴニアのプランターを下段に降ろし、ペチュニアのプランターは上段だけに置くとしよう。ところで、去年、上段でも被害が少しあったような記憶がある。今年は、そうならないことを祈るしかない。
もし上段もネズミが食うようなら、“この野郎、ネズミめ!”である。
ネズミ退治の餌を置いたり、粘着板を置いたりしているが、子ネズミはかかれど、大人になったネズミは警戒心があってかからない。弱ったもんだ。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ところで、「腹たち」しなくする良い方法があります。いつも楽しいことを考え続けることです。それを不動のものにするのが「一日一楽」日記を付けることです。これは別立てブログで毎日書いています。脳トレのため「2日前の日記」とともに。ご参照ください。
薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記
高齢者運転免許返納や高齢者講習制度に物申す [公共]
ひと頃よりニュースになるのが減った感がする高齢者が起こす交通事故や反対車線走行であるが、まだまだ高齢者バッシングが続いている。
その一因として、数は少ないが高齢者の、といっても後期高齢者の横着さがあろう。
10年ぐらい前のことであるが、二度三度とたて続けに事故を起こされた90歳前後の年寄りが近所に住んでおられた。家族が車を取り上げようとしても頑として言うことを聞かず、心配しておられた。ある日、田舎道で交差点(信号なし)に差し掛かったところ、右手から来る車の運転手はあのご老体。こちらは見通しがいいが、あちらは死角がある。ひょっとしてあの人は徐行せずに突っ切るかも。そんな不安から小生はスピードを緩め、やり過ごすことにした。そうしたら案の定、左右確認を全然せず、スピードも緩めず突っ切られる。“ああ、よかった”。身内の方の話を聞いていなかったら、きっと事故っていたであろう。
こうした年寄りの横着さはどこからくるかというと、一つには戦後日本の価値観の逆転によって「自由」をはき違え、他人の迷惑顧みず、といった身勝手さが横行していることにある。もう一つは、大脳生理学から言えることであるが、歳を食うとともに大脳前頭葉の働きが鈍り、大脳辺縁系があらわにする感情を、理性的に抑制する力を失っていくからだ。
このことは、ときおりニュースになる“保育園がうるさい”と言って新設を認めない年寄りの輩にみられる横着現象だ。
で、保育園の建設は中止される。だったら、車の運転の横着も認めろよ、である。
そう言ってしまっては喧嘩になるから、そうは言わないが、世間一般の常識として、なんだかんだ言ってみても、保育園は建設されるべきものであり、二度三度とたて続けに事故を起こした高齢者の御仁は即刻に免許を取り消すべきものである。まずもって、こうすべきであろう。
車を運転するに当たって、世の中の大多数の年寄りは、概ね半世紀の運転経験からして、事故はどうして起きるか身をもって知っている。加えて、日常生活を通して体の俊敏さ、動体視力の衰えも自覚してきており、車を運転するときは無意識的にも慎重になる。なにより急がない。いくら注意力を発揮していても「急げば事故る」ことを知っているからだ。
だから、交通事故統計を客観的に見れば、高齢者は若者より明らかに事故率が低い。
であるからして、高齢者運転免許返納や高齢者講習制度なんてものは、不要であると言いたい。こんな制度があるのは日本ぐらいなもの。
日本社会は「イジメ社会」とも言える。子どもが子どもをイジメ、大人が大人をイジメる。いい歳こいた年寄り同士までもがイジメ合っている。大人が年寄りイジメしている典型的な例が高齢者運転免許返納や高齢者講習制度であろう。いかにもお恥ずかしいかぎりだ。
今日のネットニュースに次のものがあった。↓クリックされたし。
日本と大違い! イギリスで高齢ドライバー「免許返納しろ」の大合唱が起こらないワケ
これはそのうち消えてしまうかもしれないから、肝腎な部分だけ以下に引用しておく。
イギリスでも、「運転について年齢制限を導入すべきではないか」という論争があるのは確かである。しかしタブロイド紙のデーリー・エクスプレスのウェブ版が2023年2月に行った「85歳で免許返納すべきか」というアンケートでは、回答者3462人中91%が「あからさまな差別」として反対した。日本とは世論が大きく違っている。
英国王立事故防止協会 の高齢運転者向けホームページでは、「年を取るほど、ドライバーとしての経験が増えます。これは、年配のドライバーが、より安全で思いやりのあるドライバーになる傾向がある理由のひとつです」といった表現が見られる。
また、「運転に安全な年齢に上限はないと考えています」といった表記からは、高齢者を十把ひとからげにしない意識が感じられる。
いかがでしょうか。日本も英国のようになってほしいものです。
小生、昨年、74歳にして軽トラを買い換えたばかり。前の車は22年間乗った。新車もあと22年、96歳まで運転したいものである。そこまで生きていれば、ではあるが。もっとも、85歳ともなると運転が少々不安になるだろうから、より自動運転機能が備わった新型車に更新せねばならんだろう。その先となると、AI技術が格段に進み、ボケ老人であっても完全自動運転車に乗って無免許で目的地に行けるようになるのではなかろうか。やがて、運転免許証不用の時代となり、高齢者運転免許返納や高齢者講習制度は昔話となろう。
“俺は死ぬまで車を放さんぞ! 田舎では車なしでは生きていけんのじゃ!”
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ところで、「腹たち」しなくする良い方法があります。いつも楽しいことを考え続けることです。それを不動のものにするのが「一日一楽」日記を付けることです。これは別立てブログで毎日書いています。脳トレのため「2日前の日記」とともに。ご参照ください。
薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記
その一因として、数は少ないが高齢者の、といっても後期高齢者の横着さがあろう。
10年ぐらい前のことであるが、二度三度とたて続けに事故を起こされた90歳前後の年寄りが近所に住んでおられた。家族が車を取り上げようとしても頑として言うことを聞かず、心配しておられた。ある日、田舎道で交差点(信号なし)に差し掛かったところ、右手から来る車の運転手はあのご老体。こちらは見通しがいいが、あちらは死角がある。ひょっとしてあの人は徐行せずに突っ切るかも。そんな不安から小生はスピードを緩め、やり過ごすことにした。そうしたら案の定、左右確認を全然せず、スピードも緩めず突っ切られる。“ああ、よかった”。身内の方の話を聞いていなかったら、きっと事故っていたであろう。
こうした年寄りの横着さはどこからくるかというと、一つには戦後日本の価値観の逆転によって「自由」をはき違え、他人の迷惑顧みず、といった身勝手さが横行していることにある。もう一つは、大脳生理学から言えることであるが、歳を食うとともに大脳前頭葉の働きが鈍り、大脳辺縁系があらわにする感情を、理性的に抑制する力を失っていくからだ。
このことは、ときおりニュースになる“保育園がうるさい”と言って新設を認めない年寄りの輩にみられる横着現象だ。
で、保育園の建設は中止される。だったら、車の運転の横着も認めろよ、である。
そう言ってしまっては喧嘩になるから、そうは言わないが、世間一般の常識として、なんだかんだ言ってみても、保育園は建設されるべきものであり、二度三度とたて続けに事故を起こした高齢者の御仁は即刻に免許を取り消すべきものである。まずもって、こうすべきであろう。
車を運転するに当たって、世の中の大多数の年寄りは、概ね半世紀の運転経験からして、事故はどうして起きるか身をもって知っている。加えて、日常生活を通して体の俊敏さ、動体視力の衰えも自覚してきており、車を運転するときは無意識的にも慎重になる。なにより急がない。いくら注意力を発揮していても「急げば事故る」ことを知っているからだ。
だから、交通事故統計を客観的に見れば、高齢者は若者より明らかに事故率が低い。
であるからして、高齢者運転免許返納や高齢者講習制度なんてものは、不要であると言いたい。こんな制度があるのは日本ぐらいなもの。
日本社会は「イジメ社会」とも言える。子どもが子どもをイジメ、大人が大人をイジメる。いい歳こいた年寄り同士までもがイジメ合っている。大人が年寄りイジメしている典型的な例が高齢者運転免許返納や高齢者講習制度であろう。いかにもお恥ずかしいかぎりだ。
今日のネットニュースに次のものがあった。↓クリックされたし。
日本と大違い! イギリスで高齢ドライバー「免許返納しろ」の大合唱が起こらないワケ
これはそのうち消えてしまうかもしれないから、肝腎な部分だけ以下に引用しておく。
イギリスでも、「運転について年齢制限を導入すべきではないか」という論争があるのは確かである。しかしタブロイド紙のデーリー・エクスプレスのウェブ版が2023年2月に行った「85歳で免許返納すべきか」というアンケートでは、回答者3462人中91%が「あからさまな差別」として反対した。日本とは世論が大きく違っている。
英国王立事故防止協会 の高齢運転者向けホームページでは、「年を取るほど、ドライバーとしての経験が増えます。これは、年配のドライバーが、より安全で思いやりのあるドライバーになる傾向がある理由のひとつです」といった表現が見られる。
また、「運転に安全な年齢に上限はないと考えています」といった表記からは、高齢者を十把ひとからげにしない意識が感じられる。
いかがでしょうか。日本も英国のようになってほしいものです。
小生、昨年、74歳にして軽トラを買い換えたばかり。前の車は22年間乗った。新車もあと22年、96歳まで運転したいものである。そこまで生きていれば、ではあるが。もっとも、85歳ともなると運転が少々不安になるだろうから、より自動運転機能が備わった新型車に更新せねばならんだろう。その先となると、AI技術が格段に進み、ボケ老人であっても完全自動運転車に乗って無免許で目的地に行けるようになるのではなかろうか。やがて、運転免許証不用の時代となり、高齢者運転免許返納や高齢者講習制度は昔話となろう。
“俺は死ぬまで車を放さんぞ! 田舎では車なしでは生きていけんのじゃ!”
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ところで、「腹たち」しなくする良い方法があります。いつも楽しいことを考え続けることです。それを不動のものにするのが「一日一楽」日記を付けることです。これは別立てブログで毎日書いています。脳トレのため「2日前の日記」とともに。ご参照ください。
薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記
2023-02-16 11:22
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プロ野球 借金のあるチームが日本シリーズへ出場する資格があるのか [事件]
今年のプロ野球、セリーグはずっと借金があるチームが3位争いを展開してきた。今日明日には、その決着がつくが、どのチームであってもシーズン成績は勝率は5割を切る。よくよく考えてみるに、借金を持ったチームがクライマックスシリーズへ進出し、日本シリーズを争うなんて資格がはたしてあるのだろうか。もし、そんなチームが日本シリーズを制したら、どういうことになるんだろう。こんなバカな話があるか!となりはせんか。
クライマックスシリーズ制度というエンターテインメントは、米国の野球やアメフトのワイルドカードを真似たものであるが、過去に米国アメフトで借金を持ったチームがワイルドカードの切符を持つ資格はあるのかと、物議をかもしたことがあった。
やはり借金チームは次へ進む資格なし、としたほうがいいのではなかろうか。そんなことが認められるのなら、クライマックスシリーズを大拡張して、大きなハンデを付けてもらってけっこうだから、我がドべゴンズもブービー賞チームとファーストステージ争いをさせてもらえる、ということにしていただきたいものである。
という内容で、別立てブログで3日ほど前に記事にしたのだが、権藤博/野球評論家も次のように言っておられるのがネットニュースに出た。参考までに転載しておこう。
借金球団のCS進出に物申す! フルマラソンの後の短距離走に意義はあるのか
【権藤博の「奔放主義」】#153(日刊ゲンダイDIGITAL 2022/10/01 )
物議を醸すのが普通ではないか。
ヤクルトが連覇を果たしたセ・リーグのペナントレース。注目の移ったCS争いがヒドイ展開になっているのだ。
3位の阪神から4位の巨人、5位の広島が1.5ゲーム差内。熾烈と言えば聞こえはいいが、この3球団はすでに今季の負け越しが決まっている。つまり、勝率5割未満のチームがCSのファーストステージに進出することになるわけだ。
負け越しチームのCS出場はこれで7度目。昨年の巨人もそうだった。幸いというか、日本シリーズまで駒を進めたチームはまだないが、だからといって、今年もそうなる保証はない。143試合の長丁場を見事な戦いで制したヤクルトが、短期決戦のCSで足をすくわれることはあるし、シーズンで20近い貯金をつくったそのヤクルトの代わりに、借金チームが日本シリーズに進み、日本一になる可能性だってゼロではない。
これで、ペナントレースの価値が担保されるのか。そういう声が出てきてしかるべきだと思うのだが、12球団では議論すらされない。
球団にとって、CSはおいしい。本来、優勝以外は2位も6位も一緒、敗れたチームは敗因を分析、反省し、対策を練って捲土重来を期す、というのが勝負事の基本だ。だが、CSという救済措置ができ、3位に入ればよくやったと評価される風潮。V逸しても責任を追及されることは少なくなった。
CSの主催権を取れば、利益も上がる。球団幹部にとってこんなウマイ話はない。せめて勝率5割に満たないチームはCS進出権を剥奪するといった罰則があってもいいと思うが、CSの恩恵だけに目を向ける12球団からは恐らく、今後もそんな改革案は出ないだろう。
ヤクルトは、42.195キロを走って、独走でゴールテープを切った。しかし、それは予選で、決勝はその後のトラックで争う短距離走。苦しかったあのフルマラソンはなんだったのか。だから、私はCSに反対なのだ。
せめて私から、ヤクルトには「見事な優勝だった」と賛辞を贈りたい。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ところで、「腹たち」しなくする良い方法があります。いつも楽しいことを考え続けることです。それを不動のものにするのが「一日一楽」日記を付けることです。これは別立てブログで毎日書いています。脳トレのため「2日前の日記」とともに。ご参照ください。
薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記
クライマックスシリーズ制度というエンターテインメントは、米国の野球やアメフトのワイルドカードを真似たものであるが、過去に米国アメフトで借金を持ったチームがワイルドカードの切符を持つ資格はあるのかと、物議をかもしたことがあった。
やはり借金チームは次へ進む資格なし、としたほうがいいのではなかろうか。そんなことが認められるのなら、クライマックスシリーズを大拡張して、大きなハンデを付けてもらってけっこうだから、我がドべゴンズもブービー賞チームとファーストステージ争いをさせてもらえる、ということにしていただきたいものである。
という内容で、別立てブログで3日ほど前に記事にしたのだが、権藤博/野球評論家も次のように言っておられるのがネットニュースに出た。参考までに転載しておこう。
借金球団のCS進出に物申す! フルマラソンの後の短距離走に意義はあるのか
【権藤博の「奔放主義」】#153(日刊ゲンダイDIGITAL 2022/10/01 )
物議を醸すのが普通ではないか。
ヤクルトが連覇を果たしたセ・リーグのペナントレース。注目の移ったCS争いがヒドイ展開になっているのだ。
3位の阪神から4位の巨人、5位の広島が1.5ゲーム差内。熾烈と言えば聞こえはいいが、この3球団はすでに今季の負け越しが決まっている。つまり、勝率5割未満のチームがCSのファーストステージに進出することになるわけだ。
負け越しチームのCS出場はこれで7度目。昨年の巨人もそうだった。幸いというか、日本シリーズまで駒を進めたチームはまだないが、だからといって、今年もそうなる保証はない。143試合の長丁場を見事な戦いで制したヤクルトが、短期決戦のCSで足をすくわれることはあるし、シーズンで20近い貯金をつくったそのヤクルトの代わりに、借金チームが日本シリーズに進み、日本一になる可能性だってゼロではない。
これで、ペナントレースの価値が担保されるのか。そういう声が出てきてしかるべきだと思うのだが、12球団では議論すらされない。
球団にとって、CSはおいしい。本来、優勝以外は2位も6位も一緒、敗れたチームは敗因を分析、反省し、対策を練って捲土重来を期す、というのが勝負事の基本だ。だが、CSという救済措置ができ、3位に入ればよくやったと評価される風潮。V逸しても責任を追及されることは少なくなった。
CSの主催権を取れば、利益も上がる。球団幹部にとってこんなウマイ話はない。せめて勝率5割に満たないチームはCS進出権を剥奪するといった罰則があってもいいと思うが、CSの恩恵だけに目を向ける12球団からは恐らく、今後もそんな改革案は出ないだろう。
ヤクルトは、42.195キロを走って、独走でゴールテープを切った。しかし、それは予選で、決勝はその後のトラックで争う短距離走。苦しかったあのフルマラソンはなんだったのか。だから、私はCSに反対なのだ。
せめて私から、ヤクルトには「見事な優勝だった」と賛辞を贈りたい。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ところで、「腹たち」しなくする良い方法があります。いつも楽しいことを考え続けることです。それを不動のものにするのが「一日一楽」日記を付けることです。これは別立てブログで毎日書いています。脳トレのため「2日前の日記」とともに。ご参照ください。
薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記
2022-10-01 17:32
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6.12 今シーズンのプロ野球は交流戦終了前に終わってしまった [事件]
根っからの中日ドべゴンズファンである小生。今年はセリーグではダメトラ阪神が最下位確定したと思っていたが、じりじりと迫ってきて、デナさんと三つ巴の最下位争いの様相を呈してきた。昨日の試合前では3チームが1ゲーム差でひしめき合うというスリリングな展開になったきた。
さて、昨日のゲーム。ダメトラもデナさんも僅差のゲームをものにした。一方我がドべゴンズは大差のシャットアウト負け。結果、ドべゴンズは最下位に。
“バカヤロウ! いいかげんにせえ!! ドべゴンズめぇ!!!”
“監督解任だ! 大リーグのエンゼルスは連敗記録を作ったら解任されたんだから。”
4月5月はテレビ観戦してドべゴンズを応援しまくったんだが、これは毎年のことだが6月に入るといつの間にかドベ争いに参戦している。よって、その辺りで見切りを付け、テレビ観戦しなくなるのだが、今年も案の定、昨日でそれが終わった。
今シーズンのプロ野球は交流戦終了前に終わってしまったのである。
あまりの情けなさ、我がドべゴンズ…(涙)
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ところで、「腹たち」しなくする良い方法があります。いつも楽しいことを考え続けることです。それを不動のものにするのが「一日一楽」日記を付けることです。これは別立てブログで毎日書いています。脳トレのため「2日前の日記」とともに。ご参照ください。
薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記
さて、昨日のゲーム。ダメトラもデナさんも僅差のゲームをものにした。一方我がドべゴンズは大差のシャットアウト負け。結果、ドべゴンズは最下位に。
“バカヤロウ! いいかげんにせえ!! ドべゴンズめぇ!!!”
“監督解任だ! 大リーグのエンゼルスは連敗記録を作ったら解任されたんだから。”
4月5月はテレビ観戦してドべゴンズを応援しまくったんだが、これは毎年のことだが6月に入るといつの間にかドベ争いに参戦している。よって、その辺りで見切りを付け、テレビ観戦しなくなるのだが、今年も案の定、昨日でそれが終わった。
今シーズンのプロ野球は交流戦終了前に終わってしまったのである。
あまりの情けなさ、我がドべゴンズ…(涙)
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ところで、「腹たち」しなくする良い方法があります。いつも楽しいことを考え続けることです。それを不動のものにするのが「一日一楽」日記を付けることです。これは別立てブログで毎日書いています。脳トレのため「2日前の日記」とともに。ご参照ください。
薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記
2022-06-12 07:31
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今日は「世界禁煙デー」だが、これほど腹がたつものはないぞよ [公共]
小生は愛煙家である。このことについて、別立てブログで記事にしました。それをこのブログで再掲することにします。ご覧いただければ幸いです。
今日は巷では「世界禁煙デー」であるが、でき得るならば「世界喫煙デー」にしてほしいものだ
1か月ほど前に、このブログで「酒は百薬の長と申しますが、たばこだって百薬の長じゃぁありませんか。」と題して記事にした。
「全国たばこ新聞」4月号の「一服啓上」欄(執筆者:医学博士橋本彰氏)からの引用で、要点は「ニコチンは頭の回転を良くするだけではなく、脳細胞の寿命を伸ばし、長年たばこを吸っている人は高齢でのアルツハイマー病(認知症、老人ボケ)の発症率が半分から1/3と少ない」というもの。
これに関連して、1か月後の同新聞の同コラムに「知的能力向上効果の実例」と題して記事が載った。
小生、今、長大論文(といっても、あまり長くないが)に取り組んでいるのだが、悪戦苦闘している。この行き詰まりの原因は、どうやら右脳の働きが悪いからのようであり、ここは、小生は愛煙家であるが、たばこの本数を増やして右脳の働きをウーンと高めねばいかん、ということのようである。
というようなわけで、今日は巷では「世界禁煙デー」であるが、小生にとっては、いつまでもたばこを吸い続けて頭脳明晰でありたいと願う「世界喫煙デー」であり、でき得るならば、世界保健機関(WHO)さんも、そう改めてほしいものだ。
今回は一部引用ではなく、スキャンして全文をご紹介しよう。裏映りして見にくくて申し訳ありませんが。(クリックしてご覧あれ)

(注)左脳と右脳との違い
左脳は言葉、計算、分析、理論などの理性的、論理的、科学的な機能を分担しており、言語脳、理性脳、論理脳、科学脳ともいわれる。右脳は、言葉にならないもの、直観、パターン認識、空間認識、想像、美意識、情緒などの感覚的で感性的な機能を分担しており、直観脳、創造脳、感覚脳、感性脳、情緒脳とも呼ばれる。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ところで、「腹たち」しなくする良い方法があります。いつも楽しいことを考え続けることです。それを不動のものにするのが「一日一楽」日記を付けることです。これは別立てブログで毎日書いています。脳トレのため「2日前の日記」とともに。ご参照ください。
薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記
今日は巷では「世界禁煙デー」であるが、でき得るならば「世界喫煙デー」にしてほしいものだ
1か月ほど前に、このブログで「酒は百薬の長と申しますが、たばこだって百薬の長じゃぁありませんか。」と題して記事にした。
「全国たばこ新聞」4月号の「一服啓上」欄(執筆者:医学博士橋本彰氏)からの引用で、要点は「ニコチンは頭の回転を良くするだけではなく、脳細胞の寿命を伸ばし、長年たばこを吸っている人は高齢でのアルツハイマー病(認知症、老人ボケ)の発症率が半分から1/3と少ない」というもの。
これに関連して、1か月後の同新聞の同コラムに「知的能力向上効果の実例」と題して記事が載った。
小生、今、長大論文(といっても、あまり長くないが)に取り組んでいるのだが、悪戦苦闘している。この行き詰まりの原因は、どうやら右脳の働きが悪いからのようであり、ここは、小生は愛煙家であるが、たばこの本数を増やして右脳の働きをウーンと高めねばいかん、ということのようである。
というようなわけで、今日は巷では「世界禁煙デー」であるが、小生にとっては、いつまでもたばこを吸い続けて頭脳明晰でありたいと願う「世界喫煙デー」であり、でき得るならば、世界保健機関(WHO)さんも、そう改めてほしいものだ。
今回は一部引用ではなく、スキャンして全文をご紹介しよう。裏映りして見にくくて申し訳ありませんが。(クリックしてご覧あれ)
(注)左脳と右脳との違い
左脳は言葉、計算、分析、理論などの理性的、論理的、科学的な機能を分担しており、言語脳、理性脳、論理脳、科学脳ともいわれる。右脳は、言葉にならないもの、直観、パターン認識、空間認識、想像、美意識、情緒などの感覚的で感性的な機能を分担しており、直観脳、創造脳、感覚脳、感性脳、情緒脳とも呼ばれる。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
ところで、「腹たち」しなくする良い方法があります。いつも楽しいことを考え続けることです。それを不動のものにするのが「一日一楽」日記を付けることです。これは別立てブログで毎日書いています。脳トレのため「2日前の日記」とともに。ご参照ください。
薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記
2022-05-31 18:04
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4月1日生まれの子が早生まれなんて、これは学校教育法第17条第1項の規定がおかしいからである [公共]
同級生に4月1日生まれの友達がいた。小学校に入学したときから体が大きく、たしかクラスで一番背が高かったと記憶している。こいつは同じ学年で一番早く生まれた奴だから、3月という早生まれの同学年の輩より、ほぼ1年遅れで入学したのだと、大人になってからもずっと思ていた。
年度は4月1日から始まり3月31日に終わる。その年度の売上は4月1日から翌年の3月31日までの分が計上されるし、その年度の出生者数も4月1日に産まれた子から翌年の3月31日までに生まれた子の合計である。それと同様に、同じ学年の子供の誕生日は、例えば小学校1年生の場合、満7歳になるのが4月1日から始まって翌年の3月31日までであってしかるべきものだ。
春休みがあって基本的に4月1日は休校日ではあるが、毎日学校へ行くとし、学校で誕生会を開催するとしよう。年度初めの4月1日が最初の誕生会で、4月2日が年度の2日目の誕生会となる。すると、現行制度の下においては4月1日生まれの子は満6歳の誕生会であり、4月2日生まれの子は満7歳の誕生会ということになる。こうして、年度の最終日の3月31日生まれの子まで満7歳の誕生会が開催される。それに紛れて、たった一人4月1日生まれの子だけが満6歳の誕生会となってしまっている、という現行制度だ。
こんなおかしな制度は、法律が間違っているからだ。
少々法律を紐解いてみると、学校教育法第17条第1項で「保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、…就学させる義務を負う。」とあり、年齢の計算方法は民法143条によるとされている。
民法143条の規定は難解であるが、年齢計算は、つまるところ「誕生日の前日が終了する時(24時)に年を一つとる(満年齢に達する)」とされる。
どちらの法律に合理性があるだろうか。
例えば成人(昨日4月1日から18歳に変わった。)の場合、成人になった日から新たな権利義務が複数発生する。この場合の年齢計算はとなると、民法の規定に合理性があろう。18年前の出生日時が4月1日の0時1分の者も23時59分の者も、今年の3月31日24時に18歳の満年齢に達したとし、翌4月1日0時から18歳の扱いを受けるのが妥当だからだ。
これと同様な考え方で、満6歳に達した子に就学義務を課すのはいいが、そうすると就学者は4月2日から翌年4月1日生まれの者となり、1日ずれてしまうのである。これでは混乱する。
学校教育法第17条第1項の規定がおかしいからである。
条文を改め、「子の満6歳に達した日の翌々日以後における最初の学年の初めから」ではみっともないから、「子の出生日から起算して6年経過後の応当日の翌日以後における最初の学年の初めから」とすべきであったろう。
なお、年齢計算ニ関スル法律(明治35年12月2日法律第50号)第1項で「年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算」し、第2項で「民法第143条ノ規定ハ年齢ノ計算ニ之ヲ準用」することとなっており、学校教育法はこの規定に従って年齢について民法に下駄を預けて、法律間の整合性と条文の美しさに重きを置くことに熱心で、子どもたちのことを何も考えていないから、このようにとんでもなくおかしくなるのだ。
本件に関しては、国会質問が過去に幾度かあったようだが、質問した議員は文部省の説明にあっさり納得している。法律は誰が作ったのか、それを忘れてしまっている国会議員。アホか!と言いたい。弁護士出身の法律専門家が何人もいる国会議員である。少しは自分の専門性を発揮なさったら。
もっとも、このアホさかげんは、その昔の国会議員にあるのだが、それを今になって指摘できないでいる国会議員も国会議員だ。間違いは間違いとちゃんと指摘し、それを正すか、正さまいか、さあどうするか、これを審議するのが国会というもじゃぁありませんか。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
年度は4月1日から始まり3月31日に終わる。その年度の売上は4月1日から翌年の3月31日までの分が計上されるし、その年度の出生者数も4月1日に産まれた子から翌年の3月31日までに生まれた子の合計である。それと同様に、同じ学年の子供の誕生日は、例えば小学校1年生の場合、満7歳になるのが4月1日から始まって翌年の3月31日までであってしかるべきものだ。
春休みがあって基本的に4月1日は休校日ではあるが、毎日学校へ行くとし、学校で誕生会を開催するとしよう。年度初めの4月1日が最初の誕生会で、4月2日が年度の2日目の誕生会となる。すると、現行制度の下においては4月1日生まれの子は満6歳の誕生会であり、4月2日生まれの子は満7歳の誕生会ということになる。こうして、年度の最終日の3月31日生まれの子まで満7歳の誕生会が開催される。それに紛れて、たった一人4月1日生まれの子だけが満6歳の誕生会となってしまっている、という現行制度だ。
こんなおかしな制度は、法律が間違っているからだ。
少々法律を紐解いてみると、学校教育法第17条第1項で「保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、…就学させる義務を負う。」とあり、年齢の計算方法は民法143条によるとされている。
民法143条の規定は難解であるが、年齢計算は、つまるところ「誕生日の前日が終了する時(24時)に年を一つとる(満年齢に達する)」とされる。
どちらの法律に合理性があるだろうか。
例えば成人(昨日4月1日から18歳に変わった。)の場合、成人になった日から新たな権利義務が複数発生する。この場合の年齢計算はとなると、民法の規定に合理性があろう。18年前の出生日時が4月1日の0時1分の者も23時59分の者も、今年の3月31日24時に18歳の満年齢に達したとし、翌4月1日0時から18歳の扱いを受けるのが妥当だからだ。
これと同様な考え方で、満6歳に達した子に就学義務を課すのはいいが、そうすると就学者は4月2日から翌年4月1日生まれの者となり、1日ずれてしまうのである。これでは混乱する。
学校教育法第17条第1項の規定がおかしいからである。
条文を改め、「子の満6歳に達した日の翌々日以後における最初の学年の初めから」ではみっともないから、「子の出生日から起算して6年経過後の応当日の翌日以後における最初の学年の初めから」とすべきであったろう。
なお、年齢計算ニ関スル法律(明治35年12月2日法律第50号)第1項で「年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算」し、第2項で「民法第143条ノ規定ハ年齢ノ計算ニ之ヲ準用」することとなっており、学校教育法はこの規定に従って年齢について民法に下駄を預けて、法律間の整合性と条文の美しさに重きを置くことに熱心で、子どもたちのことを何も考えていないから、このようにとんでもなくおかしくなるのだ。
本件に関しては、国会質問が過去に幾度かあったようだが、質問した議員は文部省の説明にあっさり納得している。法律は誰が作ったのか、それを忘れてしまっている国会議員。アホか!と言いたい。弁護士出身の法律専門家が何人もいる国会議員である。少しは自分の専門性を発揮なさったら。
もっとも、このアホさかげんは、その昔の国会議員にあるのだが、それを今になって指摘できないでいる国会議員も国会議員だ。間違いは間違いとちゃんと指摘し、それを正すか、正さまいか、さあどうするか、これを審議するのが国会というもじゃぁありませんか。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
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小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
2022-04-02 13:03
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保育園児にマスクを着用させるなんて、知事も知事なら大臣も大臣だ [医療制度]
新型コロナに関して一昨日に続いて、またまた頭にくるニュースが飛び込んできたから、このブログで、うっぷんを晴らすこととした。他人の“腹たち”に少しばかりお付き合いいただけると幸いです。
そのニュースとは次のもの。
【速報】保育園児のマスク着用促進 後藤厚労大臣「前向きに進めていく」
…3日、全国知事会との意見交換で、保育園児のマスク着用を促すよう要請されたことについて、後藤大臣は「感染の主流は高齢者と子どもに移ってきていて、次の感染が広がる起点になりかねない」と指摘し「前向きに進めていく」と述べた。
厚生労働省は現在、窒息のリスクがあるとして、2歳未満の子どもにマスク着用を推奨しておらず、2歳以上にも一律の着用は求めていない。
(引用ここまで)
保育園児にマスクを着用させるなんて、知事も知事なら大臣も大臣だ。
いいかい、2019年のインフルエンザで10歳未満の死者数は49人であったのを、知事さんも厚労大臣さんも失念していやしないかい。2年も前のことはもう忘れた、と言いたいだろうが、私人なら許せるが、公人には絶対に許されないんじゃ。配下の官僚から要点をまとめた資料をもらい、それを踏まえて物申さなあかん立場にいるんだぞ、お前たちは。
まあ、配下の官僚に間に合わん奴らがいるかもしれんから、ほんとに知らんかもわからんが、すっとぼけんでくれよ。
そして、ここ2年間の新型コロナで10歳未満の死者数はいまだゼロ、これくらいのことは知事さんも厚労大臣さんも頭に入っていよう。
だったら、どうして「保育園児のマスク着用を促す」なんて提案ができ、「前向きに進めていく」と返答できるのか。
毎年のインフルエンザ流行期に、今まで保育園児にマスクを着用させたことなんてあったかい。なかったろう。なんで今回はマスクさせるの?
1日10万人ものPCR感染者が出ているから特別だ、なんて言わせんぞ。
毎年のインフルエンザ流行期には1週間に100万人が医者の治療を受けることになったんだから。そして、医者に行かずに薬を買って自分で治した者も同数ぐらいあると見込まれるし。これだけで1週間に200万人だ。さらに、ごく軽症や無症状で終った者、これはインフルのPCR検査をしたら陽性と出たであろう、そうした人は少なくともその倍はいたに違いない。これで1週間に600万人だ。1日にすれば100万人となる。
これだけの感染者を出しながら、知事さんも大臣さんも、過去、インフルエンザ対策で何か “らしい対策” をとったのかい、と言いたい。10歳未満の死者数を49人も出しながら。
そういう知事さんよ、大臣さんよ、いまだ死者ゼロでありながら、今年だけ “どえれぇ積極的な対策” を取ろうとなさる、そのわけは?
平民にはさっぱりわからん! 分かりやすく教えてちょ。
もう一つ言っておこう。毎年のインフルエンザ流行期、今頃は、もうボツボツ終盤になっているが、1日当たり100人ぐらいのお年寄りがインフルエンザで直接なり間接的に命を落としておられた。今年は新型コロナさまさま、これはウイルス干渉によるものだが、インフルエンザウイルスはすっかり影を潜め、インフルエンザでの死者はゼロだ。
で、ここのところの新型コロナ陽性者で、死んだ年寄りは何人いる? 知事さんも大臣さんも、これくらいは知っておられようから、あえて言わないが。
ええかげんにせえ!だ。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
そのニュースとは次のもの。
【速報】保育園児のマスク着用促進 後藤厚労大臣「前向きに進めていく」
…3日、全国知事会との意見交換で、保育園児のマスク着用を促すよう要請されたことについて、後藤大臣は「感染の主流は高齢者と子どもに移ってきていて、次の感染が広がる起点になりかねない」と指摘し「前向きに進めていく」と述べた。
厚生労働省は現在、窒息のリスクがあるとして、2歳未満の子どもにマスク着用を推奨しておらず、2歳以上にも一律の着用は求めていない。
(引用ここまで)
保育園児にマスクを着用させるなんて、知事も知事なら大臣も大臣だ。
いいかい、2019年のインフルエンザで10歳未満の死者数は49人であったのを、知事さんも厚労大臣さんも失念していやしないかい。2年も前のことはもう忘れた、と言いたいだろうが、私人なら許せるが、公人には絶対に許されないんじゃ。配下の官僚から要点をまとめた資料をもらい、それを踏まえて物申さなあかん立場にいるんだぞ、お前たちは。
まあ、配下の官僚に間に合わん奴らがいるかもしれんから、ほんとに知らんかもわからんが、すっとぼけんでくれよ。
そして、ここ2年間の新型コロナで10歳未満の死者数はいまだゼロ、これくらいのことは知事さんも厚労大臣さんも頭に入っていよう。
だったら、どうして「保育園児のマスク着用を促す」なんて提案ができ、「前向きに進めていく」と返答できるのか。
毎年のインフルエンザ流行期に、今まで保育園児にマスクを着用させたことなんてあったかい。なかったろう。なんで今回はマスクさせるの?
1日10万人ものPCR感染者が出ているから特別だ、なんて言わせんぞ。
毎年のインフルエンザ流行期には1週間に100万人が医者の治療を受けることになったんだから。そして、医者に行かずに薬を買って自分で治した者も同数ぐらいあると見込まれるし。これだけで1週間に200万人だ。さらに、ごく軽症や無症状で終った者、これはインフルのPCR検査をしたら陽性と出たであろう、そうした人は少なくともその倍はいたに違いない。これで1週間に600万人だ。1日にすれば100万人となる。
これだけの感染者を出しながら、知事さんも大臣さんも、過去、インフルエンザ対策で何か “らしい対策” をとったのかい、と言いたい。10歳未満の死者数を49人も出しながら。
そういう知事さんよ、大臣さんよ、いまだ死者ゼロでありながら、今年だけ “どえれぇ積極的な対策” を取ろうとなさる、そのわけは?
平民にはさっぱりわからん! 分かりやすく教えてちょ。
もう一つ言っておこう。毎年のインフルエンザ流行期、今頃は、もうボツボツ終盤になっているが、1日当たり100人ぐらいのお年寄りがインフルエンザで直接なり間接的に命を落としておられた。今年は新型コロナさまさま、これはウイルス干渉によるものだが、インフルエンザウイルスはすっかり影を潜め、インフルエンザでの死者はゼロだ。
で、ここのところの新型コロナ陽性者で、死んだ年寄りは何人いる? 知事さんも大臣さんも、これくらいは知っておられようから、あえて言わないが。
ええかげんにせえ!だ。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
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小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
2022-02-04 14:34
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これから際限なく膨れ上がるであろう新型コロナ死亡者数 [医療制度]
今日、ネットニュースを見たら、<重症ゼロなのに、なぜか「死者6人」の県…原因は「厚労省ルール」か>と題して、その原因を解説したものがあった。これは2月1日配信の読売新聞オンラインだ。その一部を抜粋して紹介しよう。
山梨県内では1月に新型コロナウイルス感染症の「死者」が30日時点で6人確認された一方、重症者はゼロが続いている。重症者がいないのに、死者が出る現象はなぜ起こるのか。厚生労働省が定める死者の集計方法のルールに、その原因があるとみられる。
「現在の死者数の増加は、コロナが原因で亡くなった人が増えていることを必ずしも意味しない」。厚労省の担当者は、現在の死者数の集計について、こう見解を述べた。
現在、コロナの死者数の数え方は「感染者が療養中・入院中に亡くなった場合」が基準だ。かつては「死者」の定義があいまいで、「明らかに死因がコロナでない人」を死者として計上するかどうか自治体ごとに対応が異なっていた。
対策として厚労省は2020年6月18日付で現在の集計方法に統一した。仮に死因が老衰や他の病気だったとしても、事前の検査で感染が明らかになっていた場合は「コロナの死者」として数えることになった。
死者数の統計の意味合いをさらに分かりにくくしているのが、厚労省が「亡くなった後の検査で陽性が判明した人」も死者に数えるよう推奨している点だ。「全国的な感染状況を把握するため」というのが理由だが、医療機関では全ての死者を検査することは人員的にも難しい。
県立中央病院では基本的に、〈1〉発熱や呼吸困難などコロナに起因する可能性がある症状を持つ人〈2〉同居の家族らに陽性者がいる人――のいずれかに該当する人について、亡くなった後に検査を行っている。
感染力が強い変異株「オミクロン株」が流行している現状では、検査するほど陽性者が出る確率は高くなり、「コロナの死者」も増えることになる。
(引用ここまで)
この厚生労働省が定める死者の集計方法のルールは、WHO(世界保健機構)が定めたもので、「世界的な感染状況を把握するためのもの」とされているが、実情としては、パンデミック宣言を出し、それを長引かせんとする魂胆が丸見えである。
実際のところ、2009/10年の新型インフルエンザのとき、弱毒化していたのが判明していながらWHOはパンデミック宣言を出して世界の世論を煽り、結果として大手製薬会社が作った必要もないワクチンを世界中に供給したのである。これに対して、欧州議会は、後日、パンデミック宣言に至った経緯の調査に踏み出し、WHOの宣言は製薬会社の意向が大きく影響した可能性が高い、偽のパンデミックであったとして問題提起をしている。
このように、WHOの意思決定には製薬会社の意向が大きく働いているようなのである。
そもそもWHOは、ここで作られる基準の公平性や組織運営の中立性が失われてはいけないという立場から、製薬会社などをはじめ民間企業から寄付を受けることを禁じられていた。しかし、2006年には、WHOへの寄付に製薬会社が患者団体を中継点に利用しているという重大な疑惑が持ち上がった。どうやら、これは2006年の事件に限ったことではなさそうだ。加えて、今般の新型コロナに至っては、2020年3月に欧州と米国の民間財団が「WHOのための新型コロナウイルス感染症連帯対応基金」を立ち上げ、この基金からWHOへ寄付するという道筋を作り、同年10月には世界中の個人や企業から寄せられた寄付金は246億円に上る。この寄付には直接的なものはなかろうが製薬会社が関与しているものもあるのだはなかろうか、そう疑いたくなる。
こうしたWHOの悪しき体質からして、死亡原因の「国際疾病分類(ICD)」をWHOが作成していることもあって、今般の新型コロナによる死亡者数を多めに算定するという世界統一ルールを定めることは、いとも簡単にできるのである。
実際のところ、日本における新型コロナによる死亡者数の実数は、厚労省発表の10分の1ではないかという確かな根拠があるほどだ。(これはYouTubeで詳しく紹介されていたのだが、残念ながら言論統制で直ぐにアクセスできなくなってしまった。2021年5月)
こうしたこと(死因が新型コロナとの因果関係が全くなくても、単にPCR検査で陽性とでていたら、その全てを新型コロナ死亡とする)から、今後、恐ろしいことが起きそうなのである。
というのは、オミクロン株は感染力が強くて今後蔓延していくであろうから、PCR検査すれば陽性と出るケースが頻発する。そもそもPCR検査でもって感染の有無を判定してはいけない(医師が診察して判定することに重きを置き、PCR検査は念のために行うもの)、とPCR検査開発者は語っており、PCR検査の信頼性は不完全なものなのだ。つまり、無感染者を陽性としたり、感染者を陰性としてしまう錯誤が一定割合で起きてしまうのである。
そして、実際にオミクロン株に感染していたとしても、オミクロン株は弱毒性であるがゆえに、それが元で既往症が悪化して死に至るというケースは従前株に比べてうんと少なくなるに決まっているのである。
今までが実際の10倍にカウントされていたようであるのが、今後は実際の20倍、30倍の新型コロナ死者数が発表されることになろう。
こうして、新型コロナ感染の危機感を煽り続け、いつまでもパンデミック宣言を長引かせようという魂胆がWHOにある、そう考えるしかないのだ。
そこで得をするのはだれか。いうまでもないがワクチンを製造している大手製薬会社である。加えて、日本政府もそれを後押しする。大手製薬会社と結んだワクチン供給契約を日本政府は守らねばならず、契約供給量の全部を日本国民に消費させなばならないのであり、アベノマスクの二の舞になっては厚労省の面目丸つぶれになる。2009/10年の新型インフルエンザのときも、厚労省は輸入した不用なワクチンを打ちましょう、打ちましょうと盛んに広報宣伝していた、その繰り返しを今回もやろうとしている。
いいかげんにせえ!
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
山梨県内では1月に新型コロナウイルス感染症の「死者」が30日時点で6人確認された一方、重症者はゼロが続いている。重症者がいないのに、死者が出る現象はなぜ起こるのか。厚生労働省が定める死者の集計方法のルールに、その原因があるとみられる。
「現在の死者数の増加は、コロナが原因で亡くなった人が増えていることを必ずしも意味しない」。厚労省の担当者は、現在の死者数の集計について、こう見解を述べた。
現在、コロナの死者数の数え方は「感染者が療養中・入院中に亡くなった場合」が基準だ。かつては「死者」の定義があいまいで、「明らかに死因がコロナでない人」を死者として計上するかどうか自治体ごとに対応が異なっていた。
対策として厚労省は2020年6月18日付で現在の集計方法に統一した。仮に死因が老衰や他の病気だったとしても、事前の検査で感染が明らかになっていた場合は「コロナの死者」として数えることになった。
死者数の統計の意味合いをさらに分かりにくくしているのが、厚労省が「亡くなった後の検査で陽性が判明した人」も死者に数えるよう推奨している点だ。「全国的な感染状況を把握するため」というのが理由だが、医療機関では全ての死者を検査することは人員的にも難しい。
県立中央病院では基本的に、〈1〉発熱や呼吸困難などコロナに起因する可能性がある症状を持つ人〈2〉同居の家族らに陽性者がいる人――のいずれかに該当する人について、亡くなった後に検査を行っている。
感染力が強い変異株「オミクロン株」が流行している現状では、検査するほど陽性者が出る確率は高くなり、「コロナの死者」も増えることになる。
(引用ここまで)
この厚生労働省が定める死者の集計方法のルールは、WHO(世界保健機構)が定めたもので、「世界的な感染状況を把握するためのもの」とされているが、実情としては、パンデミック宣言を出し、それを長引かせんとする魂胆が丸見えである。
実際のところ、2009/10年の新型インフルエンザのとき、弱毒化していたのが判明していながらWHOはパンデミック宣言を出して世界の世論を煽り、結果として大手製薬会社が作った必要もないワクチンを世界中に供給したのである。これに対して、欧州議会は、後日、パンデミック宣言に至った経緯の調査に踏み出し、WHOの宣言は製薬会社の意向が大きく影響した可能性が高い、偽のパンデミックであったとして問題提起をしている。
このように、WHOの意思決定には製薬会社の意向が大きく働いているようなのである。
そもそもWHOは、ここで作られる基準の公平性や組織運営の中立性が失われてはいけないという立場から、製薬会社などをはじめ民間企業から寄付を受けることを禁じられていた。しかし、2006年には、WHOへの寄付に製薬会社が患者団体を中継点に利用しているという重大な疑惑が持ち上がった。どうやら、これは2006年の事件に限ったことではなさそうだ。加えて、今般の新型コロナに至っては、2020年3月に欧州と米国の民間財団が「WHOのための新型コロナウイルス感染症連帯対応基金」を立ち上げ、この基金からWHOへ寄付するという道筋を作り、同年10月には世界中の個人や企業から寄せられた寄付金は246億円に上る。この寄付には直接的なものはなかろうが製薬会社が関与しているものもあるのだはなかろうか、そう疑いたくなる。
こうしたWHOの悪しき体質からして、死亡原因の「国際疾病分類(ICD)」をWHOが作成していることもあって、今般の新型コロナによる死亡者数を多めに算定するという世界統一ルールを定めることは、いとも簡単にできるのである。
実際のところ、日本における新型コロナによる死亡者数の実数は、厚労省発表の10分の1ではないかという確かな根拠があるほどだ。(これはYouTubeで詳しく紹介されていたのだが、残念ながら言論統制で直ぐにアクセスできなくなってしまった。2021年5月)
こうしたこと(死因が新型コロナとの因果関係が全くなくても、単にPCR検査で陽性とでていたら、その全てを新型コロナ死亡とする)から、今後、恐ろしいことが起きそうなのである。
というのは、オミクロン株は感染力が強くて今後蔓延していくであろうから、PCR検査すれば陽性と出るケースが頻発する。そもそもPCR検査でもって感染の有無を判定してはいけない(医師が診察して判定することに重きを置き、PCR検査は念のために行うもの)、とPCR検査開発者は語っており、PCR検査の信頼性は不完全なものなのだ。つまり、無感染者を陽性としたり、感染者を陰性としてしまう錯誤が一定割合で起きてしまうのである。
そして、実際にオミクロン株に感染していたとしても、オミクロン株は弱毒性であるがゆえに、それが元で既往症が悪化して死に至るというケースは従前株に比べてうんと少なくなるに決まっているのである。
今までが実際の10倍にカウントされていたようであるのが、今後は実際の20倍、30倍の新型コロナ死者数が発表されることになろう。
こうして、新型コロナ感染の危機感を煽り続け、いつまでもパンデミック宣言を長引かせようという魂胆がWHOにある、そう考えるしかないのだ。
そこで得をするのはだれか。いうまでもないがワクチンを製造している大手製薬会社である。加えて、日本政府もそれを後押しする。大手製薬会社と結んだワクチン供給契約を日本政府は守らねばならず、契約供給量の全部を日本国民に消費させなばならないのであり、アベノマスクの二の舞になっては厚労省の面目丸つぶれになる。2009/10年の新型インフルエンザのときも、厚労省は輸入した不用なワクチンを打ちましょう、打ちましょうと盛んに広報宣伝していた、その繰り返しを今回もやろうとしている。
いいかげんにせえ!
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
2022-02-02 14:59
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