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11.23 火消し人・おふくろ [おふくろ]

 昨日・今日・明日と穏やかな天気に恵まれるとの天気予報であるから、昨日、2か所の田で野焼きを行った。ナスやピーマンの残骸、柳の枝落としや庭木の剪定ゴミ、枯れた草花や雑草といったものである。
 自宅から離れた田はマイペースで野焼きができ、今日はまだ燃え残りがくすぶっているであろうから1日放置し、明日には完全に燃えつくした灰を畑に撒けばよい。これはいつもどおり順調に事が運ぶ。
 ところで、自宅前の休耕田が問題である。野焼きしていると、95歳にもなるおふくろだが、ちゃんとかぎつけて、飛び火を恐れたり、燃え残りで放火をされはしないか、などなど心配事をあれこれ探し出し、ちゃちを入れる。
 昨日もそうだ。2か所を掛け持ちで野焼きしていたから、離れた田へ燃え残りが燃えやすいように手を入れようとちょっと行っていたら、その間に野焼き場を突いて広げ、早く燃え尽きさせようとしていた。
 耳の遠いおふくろに“まだやりかけだ。広げるな。代われ。”と言って火かき棒を取り上げねばならぬ。おふくろが余計なことをするから、手間がかかってしかたがない。
 それ以上の問題は、おふくろは夕方には水をかけて消したがることだ。
 そこで、“水は絶対にかけるな。灰にして畑に撒くから。何もするな。”と言うと、“分かった。水はかけぇへん。”との返事。
 これも、怪しい。昨年がそうであった。色よい返事をしながら、夕方には隣の従兄弟に命じて水をかけさせてしまった。よって、燃え残りはあるわ、灰の搬出に苦労させられるわで往生した。
 幸い、これはしなかったから助かったが、10時頃に店から自宅へ行ってみると、大きくかき広げられてしまっていた。朝方やったのだろう。おふくろは早く鎮火させようと考えたのだ。無風なのに。
 案じたとおり燃え残りがけっこうあり、できた灰と混ざってしまっている。
 “何でかき広げた。あれでは灰を畑に撒けんわ。”と言うも、“何やて?”と聞こえない素振り。もう一度言うと、だんまりを決め込む。
 まだ熱い灰が少々あったので、小山に作り直し、今日1日燻すことにしたが、これは気休めにしか過ぎず、燃え尽きることはなかろう。
 明日の午前中に灰をかき集め、箱詰めして離れた畑へ持って行き、畑全体に施肥したいのだが、燃え残りや炭になったものが多いだろうから、かさばるし、撒きにくいし、実に弱ったものである。
 おふくろの農法は、灰は使わず化学肥料(種粕とのブレンド)だけであるから、小生こだわりの有機農法(化成肥料は使わず)への理解も全く示さない。
 おふくろは“肥料代がかかりすぎる”と難くせを付けるだけ。
 小生が行なう灰づくりの邪魔を楽しんでいるようにしか思えない“火消し人・おふくろ”である。
(12月8日追記)
 今日も野焼きを行った。朝行い、昼過ぎに離れた畑へ2時間ほど行っていたら、少々風が出てきた。ひょっとすると、燃え残りのくすぶりに、おふくろが水をかけやしないか、心配になった。自宅へ戻ると、案の定、しっかり水をかけられ、灰がベトベト。
 鶏冠にくるー!!

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
 詳しくは、下記の記事をご覧ください。
    クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
 小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
  

1.14 滋養強壮薬を飲まなくなった横着なおふくろに怒り心頭 [おふくろ]

 95歳のおふくろ。一人住まいであるが、週に2回、小生が泊まりに行き、また、毎日顔を合わせるようにしている。悪い所はどこもなく、自分のことは自分でやれる五体満足なおふくろである。もっとも、それなりの体になり、2、300mを歩くには手押し車につかまっていないと腰が痛いようだ。そして、耳が遠くなり、会話がほとんど通じなくなった。困ったのは、夏には暑さのせいか、2年前から、まだらボケが出るようになったことである。

 耳が途端に遠くなったのは平成18年で、30数万円も出して補聴器を買ったのだが、雑音が入りすぎて疲れるからと、2、3か月で使うのを止めてしまった。メーカーの定期的なアフターケアで、1年間は来てもらえた日には着けていたが、翌日には外してしまうという横着さだ。
 それ以降、どんどん耳が遠くなり、平成22年ごろに、1万円ほどの“補聴器もどき”を買い与えた。スピーカー部分を耳に当てれば、マイクで拾った音が大きく聞こえるというもので、けっこう便利なものだ。今、女房が会話するとき、それを耳に当ててやり、重宝してる。しかし、自分でそれを耳に当てようとはしない。“補聴器もどき”をいつも首にぶら下げておけと言っても、そうしたことがない。
 加えて、庭先で小生が何か頼みごとをしようとして、耳元で大きな声で話しても、聞こえないと言うことが多い。十分に聞こえているのだが、自分に都合の悪いことは聞こえない振りをするのである。勝手ツンボだ。

 ところで、おふくろは昔から料理するのが嫌いな御仁である。お祖母さんが元気なうちは、おふくろは料理をほとんどしなかった。お祖母さんが死んでからは、おふくろが料理をするようになったのだが、親父と2人で外食の毎日ということもあった。そして、平成12年に親父が死んでからは、自分一人の料理を作るのが面倒になり、女房が作ったおかずをときどき小生が届けることが多くなった。
 少しは自分で料理しているかと思いきや、さにあらず。そして、おふくろは信じられないほどの大食漢であることを最近知った。元気なはずである。女房が作ったおかずでは大幅に不足し、隣に住む従兄弟に命じてスーパーで惣菜やらヤキソバといったものを頻繁に買いにやらせていたのである。これを2年前に知って、小生と女房がお隣さんに平謝り。いかにも横着だ。よって、それ以降は、女房が毎日たっぷりおかずを届けることにした。

 あの時代にしては珍しく一人っ子だったおふくろだから、お姫様育ちで跡を取り、隣の新家(分家)は子沢山で全員年下とくるから、自分の弟や妹のような扱いをし、それが今でも続いているのである。なお、婿で入った親父も、おふくろの女王様ぶりには随分苦労したようである。
 そうしたことから、家の中のことは自分の好き放題で何事も進めようとするのであり、息子の小生がやろうとすることにも一々口を挟み、自分の気に入る方向へ持って行かそうとする。

 最近は、ますます横着になった。庭先にある畑での野菜作りは面倒だからしなくなった。野菜作りを止めてしまってはボケる元だから、あれこれ画策して農作業をやらせようとしても腰を上げることがなくなった。とうとう昨秋の冬野菜作りは全部小生がやらざるを得なかった。その方が、かえって小生の負担は少ないのだが、体をもてあまし、毎日らしいことを何もしないとボケるだけだ。これが一番怖い。
 昨年の7月に、おふくろが、畑に数メートルの畝を簡単に立てて、何かの種蒔きをした。何を蒔いたかと問うと、“もう直ぐ(正月で)皆が来て餅を食うから正月菜を蒔いた。”と言う。“今日はお盆の1か月前や。ボケ!”と言うと、ポケーンとしている。
 前の夏にも少々おかしなことを言い、軽いボケ症状が出だしたなと思っていたが、これは正真正銘のボケの始まりだ。このまま行くと、本格的なボケになってしまう恐れが大きい。

 そこで、銀杏葉エキス製剤を1日3粒、できたら6粒を、きちんと飲めといってあるのだが、3粒しか飲まず、それが最近、平均すると1、2粒しか飲まなくなった。これは、おふくろが時々悩まされていた、めまいによく効き、10数年前から飲んでいるのだが、初期の軽いボケにもよく効く。
 また、これだけでは不十分と思われ、漢方薬でボケにいいものがあるから、それも飲ませることにした。これを1日2カプセル。それを昨年の夏からは毎日朝晩2カプセルずつに増量。
 さらに、あっちが痛え、こっちが痒い、と、しょっちゅうこぼすから、他に漢方の滋養強壮剤4種類と膝によい健康食品1種類を飲ませることにしている。
 これだけのものを一度に飲むのは大変だから、銀杏葉と滋養強壮剤1種類以外はカプセルを外したりして湯飲みに入れ、お湯を注げば飲めるようにしておいてやり、銀杏葉のビンの脇に置く。そして、晩のためのボケにいい漢方薬と滋養強壮剤1種類の計3カプセルそして銀杏葉3粒をぐい飲みに入れておく。
 ところが、これを飲まない日が最近多くなった。朝、作ろうとすると前の日のものが2つともそのままになっているのである。銀杏葉のビンの中身も減っていない。
 一方で、倉庫に置いてある栄養ドリンク(砂糖が濃厚で飲みやすい)が最近1日1本の割で減っていく。これを毎日飲んで、滋養強壮薬や銀杏葉をあまり飲まなくなったのである。
 
 “いい加減にせえ!”である。
 前の日に飲んでいないときは、“ちゃんと飲め!”と、大きな声で耳元で言うのだが、おふくろは、“ちゃんと飲んどる。”と返事する。“これは昨日のだ。飲んどらんが。”と再び声を張り上げるも、“ちゃんと飲んどる。”と同じ返事が返ってくる。
 とうとう頭に来て、昨日は、おふくろが手鍋で作ってそのまま食べ始めている雑煮、いや、餅だけを醤油煮したもの(庭先から正月菜を摘んで来て入れろ、と言いたい。)の中に、前日飲まなかった湯飲みに入れた粉末をぶちまけてやった。
 “薬もこうやって飲め!”

 ここまで書いて、スッキリした。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
 詳しくは、下記の記事をご覧ください。
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4.18 夏野菜のポット苗づくりに一向に腰を上げない横着なおふくろに怒り心頭 [おふくろ]

 あと半月もすれば96歳になるおふくろ。一人住まいであるが、週に2回、小生が泊まりに行き、また、毎日顔を合わせるようにしている。悪い所はどこもなく、自分のことは自分でやれる五体満足なおふくろである。もっとも、それなりの体になり、庭先で歩くにも手押し車につかまっていないと不安なようだ。そして、耳が遠くなり、会話がほとんど通じなくなった。
 あの時代にしては珍しく一人っ子だったおふくろだから、お姫様育ちで跡を取り、婿で入った亡き親父も、おふくろの女王様ぶりには随分苦労したようである。そうしたことから、家の中のことは自分の好き放題で何事も進めようとするのであり、息子の小生がやろうとすることにも一々口を挟み、自分の気に入る方向へ持って行かそうとする。
 また、料理嫌いであるから、女房が届けるおかずなどで全てをまかない、味噌汁は作らないし、お茶とて入れない。
 最近は、ますます横着になり、庭先にある畑での野菜作りは面倒だからと、ほとんど何もしなくなった。野菜作りを止めてしまってはボケる元だから、あれこれ画策して農作業をやらせようとしても腰を上げることはまずない。
 こうしたことについては、3か月前にも書いた。

 さて、昨年の夏野菜の作付けについては、おふくろはどれだけか働いた。頼みはしなかったが、中途半端な数のオクラのポット苗、多すぎる数のゴーヤのポット苗を作って、お隣さんのハウスで育苗してもらっていた。そして、小生が頼んだ十六豆の種蒔きをちゃんとやってくれた。また、白ナスの幼苗をポット詰めする作業を1時間も手伝ってくれた。
 一方、まだらボケが出て、余計な仕事もした。キュウリの苗をお隣さんからいただき、それが定植してあるのに、別の畝にキュウリの種蒔きをする。例年、第2弾を直播きするのだが、その時期が早すぎる。両方が頭の中でごっちゃになっていたようだ。また、紫ナスが1畝、同様にして定植してあるのだが、苗が植わってないと言って、お隣さんから苗をもらってくるではないか。これは、完全にボケだ。
 もう一つ余計な仕事をした。前の年もそうであったが、6月に使う予定で畝に立て札も立ててあるのに、畝が空いているからと言って、白ナスの苗を植え付けるのである。自宅前の畑は立地条件が悪くて、毎年、白ナスはほとんど収穫できず、別の畑でタップリ栽培しているから、ここでは白ナスは作付けしない、と言ってあっても、立て札を無視して植えつけてしまうのだ。それが昨年は2回繰り返した。苗は必要な分の10倍も作ってあり、あちこちに差し上げる分を使うのだから、いくらでもあり、その度に引っこ抜いて処分した。2度あることは3度あるのであり、まだ取りに来ていない方に督促して取りに来てもらい、早々に在庫をゼロにしたところである。
 このように、思いつきで農作業も好きなことだけを気紛れ的にするだけであり、口うるさく言うと、“わしの好きなようにさせてくれりゃええやないか”との返事が返ってくる。

 さて、さて、今年の夏野菜の作付けについて、おふくろがどれだけやってくれるか。今年は、自主的なオクラやゴーヤのポット苗づくりはやっていない。これは後日おふくろに頼もうと考えている。
 今、おふくろにやってほしいのは、十六豆のポット苗づくりだ。例年、第1弾はお隣さんのハウスで、おふくろが作ったポット苗を育苗してもらっていたが、お隣さん老夫婦も体力的限界に近づいており、なるべく負担を掛けないようにせねばならない。よって、十六豆は急ぐことはないから、昨年は、今頃に、初めて第1弾を路地蒔きすることにした。しかし、なかなかうまく発芽しなかったので、何度も追加で種を埋め込むなどドタバタさせられたから、今年は管理しやすいようにポット苗づくりに変更したのである。
 そこで、それをメモし、ポット苗作りに必要ななものを全部揃えて1箇所に置き、ポット苗作りを3日前におふくろに頼み、毎日督促してきたのだが、いまだに行おうとはしない。昨日、女房がおかずを届けに行ったときには“和君(小生をそう呼ぶ)がポット苗を作るそうや”と言うし、今日、小生がメモを見せて“どうするんや”と問えば、“畑に種蒔きするのか”と返事する。
 ふざけるな!である。
 “もうええ!”と大声で言って、おふくろが手にしているメモを奪い取ってクシャクシャにし、“俺がやる!”と言い放った次第。
 ポット詰め作業は準備が整っており、5分で終了。
 なんとも横着なおふくろであり、このぶんだとオクラやゴーヤのポット苗づくりもやろうとしないかもしれない。十六豆と同様に“腹たち”を起こされそうな予感がし、自分でやってしまったほうが手っ取り早いのだが…

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
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5.3 おふくろ定番の仕事をいつになっても全くやろうとしない [おふくろ]

 店先で飾っているプランターの花が終われば、自宅へ戻し、用土はある程度まとめて天日で干し、再利用している。
 10日ほど前に、咲き終わったパンジーのプランター数個を片付け、ムシロに用土を広げて軒先に置いておいた。
 数日から1週間干せば、殺菌もされ、再利用できる。
 夕方には、おふくろが夜露に濡れないよう、倉庫に引きずっていって仕舞い込むのだが、翌日は天日に干そうとしない。
 朝なりお昼前に小生が自宅へ行ったときに倉庫から引っ張り出しておく。
 それが1週間ほど続き、もう干す必要がなくなった。
 あとは、篩いにかけて軽石様のものと培養土に分けるのだが、これは、ずっと前からおふくろの仕事にしている。
 しかし、全くやろうとしない。
 痺れを切らして、「今日、やってくれ」とメモを挟み込んでおいたが、無視された。
 2日前に女房がおかずを届けたとき、「カズ君(小生のこと)が篩いにかけるやろう」と言ったとのこと。
 何を言うかである。間もなく96歳のご老体とはいえ、どこも悪くないし、まだまだ体は動く。何もしなくなったらボケるだけだ。
 そこで、今日、「今日中に、やってくれ」と再びメモを挟んでおいた。そして、新たに処理する必要が生じたプランターの用土を別のムシロに広げておいた。
 夕方、家に行ってみると、ムシロ2枚とも倉庫に仕舞い込まれている。
 頭に来る~!
 いいかげんにやれ!
(5月14日追記)
 小生が朝ムシロを倉庫から引きずり出し、おふくろが夕方仕舞いこむ、毎日これの連続。
 おふくろは、前々日は「頭が痛い」、前日は「体の調子が悪い」とウソをつき、全くやろうとしない。
 とうとう根負けして本日自分で篩いにかけて仕舞いこむ。10分で終了。
 こんな簡単なこと、なんでやらんのだ。あの馬鹿野郎め!

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 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
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 小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。 
 
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