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日本人のアルコール代謝の低下が“適応進化”とは何事ぞ!これは退化だ [公共]

 「全ゲノムシークエンス解析で日本人の適応進化を解明-アルコール・栄養代謝に関わる遺伝的変異が適応進化の対象-」と題して、理化学研究所ほか3機関の共同研究が発表された。
 これはネットニュース「酒に弱い日本人が増えるよう「進化」 遺伝情報から判明」で知ったのだが、表題・見出しの“進化”という表現には恐れ入った。あきれて物が言えない。

 論文の要旨の中で、「生物の性質が、世代を経るごとに周囲の環境に対応して変化する現象を、適応進化と呼びます。」と定義されているが、客観論からして、これは「適応進化」ではなくて「適応変異」と呼ぶべきだ。
 そうした「適応変異」の中で優れたものを「適応進化」と呼び、失っていくものは「適応退化」と呼ぶのが正しいだろう。つまり、変異には進化と退化の両方があるのである。

 どう考えたって、アルコールの消化能力が落ちるということは退化以外のなにものでもない。いい例が、霊長類の過半が失ったビタミンC合成酵素の喪失である。たいていの哺乳類はこれを持っているのであるが、ヒトは完璧に失っており、ビタミンCを含有した植物性の食べ物を摂取せねば生きていけない。これを「進化」と言えるのか。「退化」以外のなにものでもないではないか。

 人間はいかにも横柄である。ヒトと最も近い種のチンパンジーと比較して、違いがある形質を皆、これ「進化」したと言う。人種(今ではチンパンジーも1頭2頭と呼ぶのではなく1人2人と呼ぶ)差別も甚だしいではないか。
 体毛が抜け落ちて丸裸になった猿を進化したというのか。フェロモンを嗅ぎ分けて仲間か新参者かを判別する能力を失った者を進化したと言うのか。敵をやっつけるための鋭い牙を失った者を進化したというのか。チンパンジーの握力は普通2~300kgあるのに対し、ヒトは50kgほどしかないのだが、ひ弱な筋肉になったのを進化したというのか。塩分を過剰に摂取してしまい、体内塩分の調節機能を不完全にしてしまったのを進化というのか。
 このように、ヒトはチンパンジーに比べて、あまりにも劣るのであり、唯一「進化」したと言えそうな脳力であるが、これとてヒトは単に脳味噌の量が多いだけのことであって、チンパンジーに効果的な学習訓練を積み重ねてやれば、ヒトとどっこいどっこいの脳力を発揮するようになるのではないかと思えてならない。

 裸の猿(人間)は、もう少し謙虚にならねばいかんだろう。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
 詳しくは、下記の記事をご覧ください。
    クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
 小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
 

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モリカケ問題、文書捏造で漂流する日本列島、このままでは沈没か? [公共]

政治にはうんざりし、実質上は無関心層と同じ状態にある小生。で、あっても、世の中の動きをどれだけかは把握しておかねばならぬ。そこで、新聞はもう2年以上読まなくなったものの、ネットニュースは毎日ちょこちょこっと眺め、また、右翼・左翼の両極の政治評論家の論評をざっと読んだりしている。

そうして得た情報、薄っぺらな大雑把なつかみではあるが、ますます政治にウンザリしてきたこの頃である。
安倍さんは、前に首相になったときから不適格者だと小生は思っているが、安倍さん以上の人物は誰もいないのだから、彼に首領を任せるしかない。これは明白であろう。
阿部さんのモリカケ問題で、政治は空転している。たしかに口利きしたであろうが、それがどうした、と言いたい。政治家に口利きは付き物じゃないか。そんなものはとてもじゃないが贈収賄の範疇には入らない。1国の首領の贈収賄というものは、歴代韓国大統領のような億、十億という金額を言うのであり、また、米国のような億、十億という政治献金を言うのである。前者は逮捕されるが、後者は正当なものとして罪にはならない。
ここらあたりをちゃんと踏まえて、安倍さんがどうなのか、それを正当に評価せねばいかんのである。

本省官僚、地方官僚も情けない。文書捏造とはなんたることだ。そもそも、あれこれ文書に書き過ぎるからいかんのだ。小生も21年間、地方官僚をやっていたが、政治家がらみの案件は、口頭で言うだけで文書には一切記さなかった。それが行政官の政治家に対する礼儀というものだろう。
「首相案件」なんてことを文書にするのもアホのやることだ。口頭で済ませば十分。
地方官僚を中途退職して四半世紀になるが、行政文書の公開が進んでいる今日、文書は極力当たり障りのない内容とし、添付資料なんてものは、起案者の手持ち資料として扱い、決裁文書に一切くっつけてはならない性質のものだ。決裁が下りたら手持ち資料はシュレッダーにかけて処分すべし、である。
そうした資料を後生大事に決裁文書に付けて保存しておくというのは、何かあったときにそれを持ち出して“政治家をゆする武器”にしようという魂胆があるからじゃないのか。官僚も落ちるところまで落ちた情けない存在だ。政治家に対する礼儀というものが丸でない。

政治の空転は早々に終えてほしいものだ。
憲法改正は、9条にあらたに第3項を追記して自衛隊を明記する案が固まりつつあるも、なぜにこんなな案が出てくるのか。
憲法9条と自衛隊の存在という相矛盾する大問題は、だれが考えたって、どうにかせねばならない事項である。なぜならば、憲法ってなんだ?ということになるからである。小学生に聞いてみればいい。“9条2項で軍隊はだめだと書いてあるけれど3項で軍隊を置くなんて、矛盾してる。そんな訳の分からない憲法なんて、ないのと一緒だよ。憲法は103条まであり、9条以外も意味がないものになっちゃうよ。”と小学生はいうだろう。これに納得のいく解答が示せるだろうか。
先の大戦に限らず近代の戦争に関して、ちゃんとした歴史認識を持たねばいかんだろう。今でも侵略戦争は世界中でやっている。アメリカ、ロシア、中国という3大国が絡むケースが圧倒的に多い。超大国の覇権主義は将来的にも強まりこそすれ弱まることはない。
それに日本はどう対処するのか。そこのところをしっかり議論してから、憲法9条をどうするのか決めるべき性質のものである。先の大戦の反省だとか、アメリカから押し付けられた条文だとか、そんな大昔のことはどうでもいい。将来を見据えて日本がどう動くのか、そこが重要じゃないのか。

働き方改革というのも重要な課題だ。
しかし、日本はいつから「労働」だとか「従業」という言葉に支配されるようになってしまったのか、ここのところをしっかり押さえてかからねばなるまい。「はたらく」とは何か、「仕事」とは、「職」とは、こうしたことについて、日本の文化はどういうものであったのか、その文化を変えるのか守るのか、そうした根底のところから考えねばなるまい。
欧米の「労働」だとか「従業」という言葉は、その根底に「奴隷=労働」という考えがあり、労働は卑しいものという観念がある。日本もそこらかスタートして、はたしていいのか。いいわけないだろう。
労働力が不足するようになるから年寄りも働けだとか、非正規社員がかわいそうだから正規にしろとか、そんな付け焼刃的対策をいくら推し進めようとしたって、今の流れは容易には変えられない。根底から見直して、日本文化に根差した働きやすい環境づくりを政策として樹立するしかないのではないか。

少子化に絡む待機児童問題でも一言言いたい。
小中学校は義務教育で、該当年齢になったら誰でも入学できる。小学校入学待機なんてことは一切ない。それが保育所は待機せねばならないことがある。そんなバカな話があっていいのか。まさに「保育園落ちた日本しね」である。
おぎゃあと生まれた赤ちゃんを小学校に入学させるまでの社会的責任は、義務教育を貫徹する以上に重要な責務であろう。若者が安心して子造りできる社会にすることが何よりも一番重要なことであり、それに必要な政府予算が組めないというのであれば、年寄り向けの政府予算を減ずればいいのである。子どもが大事か年寄りが大事か、そんなことは明々白々である。

他にも言いたいことが山ほどあるが、これくらいにしておこう。なんにしても、課題の根本のところから議論を進めないと何も生まれない。少しはそうした議論を聞きたいものだ。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
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 小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
 

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