東日本大震災の震源となった福島沖地震はかなり危険視されていたのに… [事件]
この記事は、別立てのアメーバブログで先ほど投稿しましたが、このブログでも再掲することにします。あまりにも腹立たしい思いをしたものですから。
2011年3月11日に発生した東日本大震災。その震源である福島沖がかなり危険視されていた、という話は、複数の地震学者が、地震が起こる何年も前から主張されていたことを、東日本大震災直後に耳にしました。
そのときは、一部の学者だけのことで、これはオーソライズされていないと思っていました。
しかし、そうではなかった!
それを次の記事で知りました。
2018.8.23配信の「Yahoo!ニュース 特集」木野龍逸氏の「真っ当な対策があれば、原発事故はなかった」 地震学者・島崎氏が見たもの
インタビューに応じた東京大学名誉教授の島崎邦彦氏(72)とのやり取りをもとにしたもので、要点は次のとおりです。
島崎氏が「本当に大きな地震」を研究していたのは、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)において、である。島崎氏は地震本部で、2012年までの17年間にわたって「長期評価部会」の部会長を務めた。
長期評価部会は、どんな役割を担っていたのだろうか。
「過去にどういう地震が起きたのかを議論し、今後に起こる可能性を評価する部会です。論文などのほか、古文書も使い、歴史上の地震を分析しました。評価対象は、マグニチュード7程度の非常に大きな地震です。
島崎氏らのグループは2002年6月、「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」を取りまとめ、三陸沖から房総沖のどこでも巨大な津波を伴う地震が発生する可能性がある、と指摘した。
その報告書は翌7月、親会議の地震調査委員会で承認、決定された。
ここまでは何も問題は起きていない。
おかしなことが起きたのは、その後だったという。
「(報告書などは)内容が決まると早ければ同じ週か、翌週には発表されていた。ところが、あのときは2週間経っても発表されなかったんですね」
すると、7月26日になって、地震本部事務局の担当者から島崎氏にメールが転送されてきた。元の発信者は内閣府の防災担当者。福島沖などで地震が起きる保証はない、として報告書を批判し、発表の先送りか、前書きに一文を追加するか、どちらかを選ぶよう求めていた。
追加の文案はこうだった。
『なお、今回の評価は(中略)限界があることから、評価結果である地震発生確率や予想される次の地震の規模の数値には誤差を含んでおり、防災対策の検討など評価結果の利用にあたってはこの点に十分留意する必要がある。』
結局、前書きに(あの文章は)追加されました。
政府に「中央防災会議」という組織がある。会長は内閣総理大臣。防災行政の総本山で、関係閣僚らが委員を務める。ここに2003年7月、「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会」が設置され、島崎氏もメンバーになった。
中央防災会議の専門調査会は2005年、過去に巨大地震や津波の記録がなかった福島沖については、今後も大きな地震は起きないとして検討対象から外した。
今後も再び起きる可能性を「否定できない地震」に備えるべきだとした長期評価とは全く異なる方針である。
しかも、この方針を入れることに強く反対していた島崎氏が欠席した会合で決定してしまった。
もし、中央防災会議が長期評価に沿った対策を決め、福島沖でも巨大津波を伴う地震が発生する可能性を直視して宮城県南部や福島県でも防災対策を進めていたら、どうだったか。
2002年にできた「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」から9年後、地震本部地震調査委員会は改訂版の「第2版」を作成した。
初版の後、地震本部と複数の大学、研究機関が連携した研究により、貞観地震(869年)による巨大津波の痕跡が判明した。その巨大津波は、宮城県から福島県にかけて陸地深くまで入り込んでいた。福島第一原発の立地エリアもそこに含まれている。
だから第2版は、このエリアでの防災対策に留意すべきだ、という項目も追加した。
島崎氏によれば、第2版は、東日本大震災の2日前、2011年の3月9日に地震本部で決定して公表し、その日の夜にはテレビのニュースで報道される段取りだったという。
ところが、再び「横やり」が入る。
2月中旬、地震本部の事務局から島崎氏に「決定を1カ月延期したい」という連絡が入った。
「3月の会合では決めることが多いから、という理由でした。私もそのまま了承してしまった」
地震本部はなぜ発表を延期したのか。
政府の事故調査委員会報告書などによると、報告書案を電力会社や経済産業省の原子力安全・保安院(現・原子力規制委員会)に事前に見せ、その後、貞観地震の記述などに関して信頼性を下げるような修正を加えていたことが分かっている。
(引用ここまで)
なお、東京電力の元会長ら旧経営陣3人を被告とする刑事裁判の証人席で、島崎氏は第2版の発表遅れによって「多くの命が救われなかった。責任はあると思った」と声を詰まらせた。
とのことです。
そして、同証人席で、「長期評価に沿って防災対策をしていれば1万8000余りの命が救われただけでなく、原発事故も起きなかったと思います」。
とも言っておられます。
なんともやるせない、悲しい出来事。
本来、刑事裁判にかけられなくてはならない人物は、横やりを入れた組織の長や官僚にありましょうや。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
2011年3月11日に発生した東日本大震災。その震源である福島沖がかなり危険視されていた、という話は、複数の地震学者が、地震が起こる何年も前から主張されていたことを、東日本大震災直後に耳にしました。
そのときは、一部の学者だけのことで、これはオーソライズされていないと思っていました。
しかし、そうではなかった!
それを次の記事で知りました。
2018.8.23配信の「Yahoo!ニュース 特集」木野龍逸氏の「真っ当な対策があれば、原発事故はなかった」 地震学者・島崎氏が見たもの
インタビューに応じた東京大学名誉教授の島崎邦彦氏(72)とのやり取りをもとにしたもので、要点は次のとおりです。
島崎氏が「本当に大きな地震」を研究していたのは、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)において、である。島崎氏は地震本部で、2012年までの17年間にわたって「長期評価部会」の部会長を務めた。
長期評価部会は、どんな役割を担っていたのだろうか。
「過去にどういう地震が起きたのかを議論し、今後に起こる可能性を評価する部会です。論文などのほか、古文書も使い、歴史上の地震を分析しました。評価対象は、マグニチュード7程度の非常に大きな地震です。
島崎氏らのグループは2002年6月、「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」を取りまとめ、三陸沖から房総沖のどこでも巨大な津波を伴う地震が発生する可能性がある、と指摘した。
その報告書は翌7月、親会議の地震調査委員会で承認、決定された。
ここまでは何も問題は起きていない。
おかしなことが起きたのは、その後だったという。
「(報告書などは)内容が決まると早ければ同じ週か、翌週には発表されていた。ところが、あのときは2週間経っても発表されなかったんですね」
すると、7月26日になって、地震本部事務局の担当者から島崎氏にメールが転送されてきた。元の発信者は内閣府の防災担当者。福島沖などで地震が起きる保証はない、として報告書を批判し、発表の先送りか、前書きに一文を追加するか、どちらかを選ぶよう求めていた。
追加の文案はこうだった。
『なお、今回の評価は(中略)限界があることから、評価結果である地震発生確率や予想される次の地震の規模の数値には誤差を含んでおり、防災対策の検討など評価結果の利用にあたってはこの点に十分留意する必要がある。』
結局、前書きに(あの文章は)追加されました。
政府に「中央防災会議」という組織がある。会長は内閣総理大臣。防災行政の総本山で、関係閣僚らが委員を務める。ここに2003年7月、「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会」が設置され、島崎氏もメンバーになった。
中央防災会議の専門調査会は2005年、過去に巨大地震や津波の記録がなかった福島沖については、今後も大きな地震は起きないとして検討対象から外した。
今後も再び起きる可能性を「否定できない地震」に備えるべきだとした長期評価とは全く異なる方針である。
しかも、この方針を入れることに強く反対していた島崎氏が欠席した会合で決定してしまった。
もし、中央防災会議が長期評価に沿った対策を決め、福島沖でも巨大津波を伴う地震が発生する可能性を直視して宮城県南部や福島県でも防災対策を進めていたら、どうだったか。
2002年にできた「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」から9年後、地震本部地震調査委員会は改訂版の「第2版」を作成した。
初版の後、地震本部と複数の大学、研究機関が連携した研究により、貞観地震(869年)による巨大津波の痕跡が判明した。その巨大津波は、宮城県から福島県にかけて陸地深くまで入り込んでいた。福島第一原発の立地エリアもそこに含まれている。
だから第2版は、このエリアでの防災対策に留意すべきだ、という項目も追加した。
島崎氏によれば、第2版は、東日本大震災の2日前、2011年の3月9日に地震本部で決定して公表し、その日の夜にはテレビのニュースで報道される段取りだったという。
ところが、再び「横やり」が入る。
2月中旬、地震本部の事務局から島崎氏に「決定を1カ月延期したい」という連絡が入った。
「3月の会合では決めることが多いから、という理由でした。私もそのまま了承してしまった」
地震本部はなぜ発表を延期したのか。
政府の事故調査委員会報告書などによると、報告書案を電力会社や経済産業省の原子力安全・保安院(現・原子力規制委員会)に事前に見せ、その後、貞観地震の記述などに関して信頼性を下げるような修正を加えていたことが分かっている。
(引用ここまで)
なお、東京電力の元会長ら旧経営陣3人を被告とする刑事裁判の証人席で、島崎氏は第2版の発表遅れによって「多くの命が救われなかった。責任はあると思った」と声を詰まらせた。
とのことです。
そして、同証人席で、「長期評価に沿って防災対策をしていれば1万8000余りの命が救われただけでなく、原発事故も起きなかったと思います」。
とも言っておられます。
なんともやるせない、悲しい出来事。
本来、刑事裁判にかけられなくてはならない人物は、横やりを入れた組織の長や官僚にありましょうや。
<備考:この“腹たち日記”の目的>
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
2018-08-23 13:06
コメント(0)
このブログの趣旨=怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう [きっかけ]
このブログを立てたのは2013年10月2日。誰しも頭に来ることがあります。でも、いつまでもそれを根に持って、イライラしたり、どこかに八つ当たりしていては、自分が損するだけです。
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、別立てブログの下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにしています。
でも、最近は、あまり腹がたたなくなりました。これも、このブログを立ち上げたお陰か?
怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
詳しくは、別立てブログの下記の記事をご覧ください。
クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにしています。
でも、最近は、あまり腹がたたなくなりました。これも、このブログを立ち上げたお陰か?