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Yahoo!ブログがなくなってしまう。頭にくる! [公共]

 Yahoo!ブログで「ヤーコンおやじのブログ」と題して、ヤーコン専門記事を書いてきたのだが、12月15日でオジャンになってしまう。
 Yahoo!といえば、ソフトバンクがたしか親会社になっているか系列会社にしているかであり、大企業がブログサービスを止めてしまうとは何事ぞ、である。
 ブログという公共性の高いものを単に営利の物差しで、“はい、止め!”とはいかがなものか。腹が立つ。
 小生の「ヤーコンおやじのブログ」はそれなりの評価を受け、ヤーコンの普及にもなにがしかの役割を果たしてきたから、残念でならない。
 廃止は決められたことだから、それに従うしかなく、今年の栽培準備を始めた3月24日以来、別立てブログ(このソネットブログ:これはブログが何本も簡単に立てられる)で、新規記事の投稿を始め、過去記事はここ2、3週間で順次コピーしながら微修正しつつ移し替え、主要な記事は本日ほぼ全部を引っ越した。
 けっこう手間暇かかったが、今のところ新設ブログにつき、アクセスは非常に少ない。Yahoo!の2割ほどしかない。これじゃ、どれだけも見てもらえないじゃないか。
 頭にくる! ソフトバンクめ、である。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
 詳しくは、下記の記事をご覧ください。
    クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
 小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
 

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何もかも西暦表示にすりゃあいい [公共]

 昭和51年生まれだと、25を足して西暦1976年、今年2019年だから誕生日が来ると43歳になる。もう一つの計算方法は、昭和は64年まであったから、昭和の最後には(64-51=)13歳になっており、昭和64年は平成元年と同じ年だから、今年平成31年の誕生日が来ると30足して43歳だ。
 これが平成となると、平成の年から12を引くなり、88を足して計算する。
 何とかこれに慣れてはいるが、新たな元号となると、これまた別の定数を持ち出して足したり引いたり。新元号に18を足して西暦換算だな。
 これだけの加減定数が、すっと頭に浮かんでくるだろうか。うんざりするなあ。
 小生の周りには外国人がけっこう多く、役所へ提出する書類の手伝いをすることも度々あり、年は和暦表示となっている。“元号ぐらい覚えろよ”と言いたくもなるが、彼らには覚えねばならないもっと重要な事柄が盛りだくさんある。
 我々日本人でもうっとおしい元号であり、こんなものは日本文化として脇に置いておき、主体は西暦でものを言うことにすべきである。手元に高島歴の冊子があるが、第1ページに「皇紀2679年」とあるが、それと同様の位置づけにすればいい。
 ますますグローバル化する世界であり、“西暦で書くな、和暦で書け”と強要するのは、鎖国政策をとっている北朝鮮に許されるぐらいなものだろう。
 今年5月1日から元号が変わるのだが、それの公表は4月1日に決まったものの、コンピュータソフトの改修が大騒動となる。無駄な経費が随分と掛かるし、トラブルも危惧される。
 外国人から見れば、“日本人はなんてバカなことをやってんだ”となろう。
 あまりにも外に開かれていない日本である。高島歴にこうも書かれている。「明治以来152年」 まだまだ鎖国時代の名残りがたっぷり残っていますよね。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
 詳しくは、下記の記事をご覧ください。
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あれこれ地元の役をやらされてかなわん [公共]

 田舎に住んでいると、昔からのしきたりで何かと役が多い。
 今仰せつかっている役は、神社総代と農協の総代である。前者はあと2年、後者は3年ある。
 これだけで十分であるのに、来年はお寺の当番がくる。それも当番長を勤めさせられるはめになった。当番は数年に1回回ってくるが、当番長は今までに2回させられ、今回は別の人になってもらおうと画策するも、固辞されてしまい、小生が三度当番長をさせられるはめに。
 いいかげん嫌になる。当番は9人だが、大半の人はやる気ゼロだから、情けなくもなる。
 他には、お墓管理組合の当番が、ここ2、3年のうちに回ってくるだろうが、これは単なる使役だから、たいしたことはないものの、組合長なり会計をさせられそうな雲行きだ。まあ、これは受けざるを得ないだろうが、パスできるものならパスしたいものだ。
 そして、来年あたりには任期2年の老人クラブの会長が回ってきそう。一昨年に打診があったが、そんなに早くやると、あとがいなくて困ると断った。なんせ小生の1年年上は何人もいて、過半の人が会長をやっておらず、小生の同級生はいないし、その下となると3年下に1人といったあんばいだから、後が続かないのである。話を持ってきた人も理解して、1年年上の方が着任したが、来年の今頃に再び話が来るかもしれぬ。
 ああ、うんざり。
 その点、百姓組合はいい。だれもが公平に組合長や班長を勤めるようにローテーションが組まれている。数年に1回班長をやり、20年ぐらいに1回組合長となる。後任を探す努力はせずに済み、助かる。何といっても一番大変なのは、後任者を決めることゆえ。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
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勧誘電話にほとほと迷惑している。受話器を転がしておくのが関の山。 [公共]

 商売をやっていると、電話が鳴れば早速にでも出なきゃいけない。お客様からのお問合せ電話のことがあるし、取引先からの重要な連絡であったりするからだ。
 しかし、そうした電話に出なきゃいけない電話は2本に1本程度だろう。半分は勧誘電話である。ひどいものは音声テープを流しているものさえある。最近、目につくのは電話や電気の料金を安くするシステムやLED電球の導入、投資話といったところであろうか。
 勧誘電話か否かは、たいてい直ぐに分かる。そういう電話のとき、女房はしばらく黙って聞いた後、“主人がいませんので分かりません”とか“うちはいりません”とか言って電話を切る。まあこれはオーソドックスな方法であろう。
 小生はというと、“はい〇〇です”と定番の応答をした後、勧誘電話と分かると、そっと受話器を机の上に置き、“勝手に好きなだけしゃべっていろ”と放置する。そうすると、1分もしないうちに相手が電話を切るようである。
 ここで、即“けっこうです”と電話を切ると、相手は直ぐ次のターゲットに電話するから、時間稼ぎして、次の被害者へ電話をかけるのを引き延ばすのだ。
 今日もそうした。そしたら、1分ぐらいして受話器からプププッと音がした。「受話器が外れていますよ」という通知音だ。NTTかどこかが受話器外れを察知して鳴らしたのだろうか。それとも勧誘電話を掛けてきた輩が114番して鳴らしてくれたのか。そこのところはよく分からないが、前にもそうしたことがあった。
 いずれにしても、「受話器放置の時間稼ぎ法」が、全体の迷惑を一番少なくする方法ではなかろうか。
 勧誘電話撃退法がネット検索でいろいろ出ていたが、どれもこれもパッとせず、幾つかのサイトを見てみたが、受話器放置は1つしか見つからなかったし、それも簡単に“これも手”と書いてあっただけである。
 携帯電話料金の値下げが何かと話題になっているが、逆に、固定電話の通話料値上げ(基本料金の値下げとセット)でもしてもらえないだろうか。そうすりゃ、勧誘電話の採算性が落ちて、そうした類の電話が減ろうというものだ。

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砂防ダムに落ちたイノシシをなぜ助けるの? 殺して食っちまえ! [公共]

 このユースを聞いて、行政がおかしなことをやってるなと思った。
 そしたら、今日のネットニュースで次のように流れていた。

 福岡県北九州市の砂防ダムに落ち、脱出できなくなったイノシシが注目を集めている。同市は静観する姿勢だったが、報道で知った人から「かわいそう」と同情の電話が殺到。やむなく救出に動きだした。ただ、市内ではイノシシによる農業被害が深刻。助けを求める電話は、ほとんどが市外からだった。現場の実情を脇に置き、地元自治体が対応せざるを得ない異常事態を受け、住民に困惑や不安が広がっている。
 …同市の鳥獣被害対策課は鳴りやまない電話の対応に追われた。ほとんどが同課に対するクレーム。「なぜ対応しない。怠慢だ」「行政の責任だ。助けろ」。強い口調で担当者を叱責する人も多かった。1時間以上、怒鳴られた担当者もいた。
 市内はイノシシの頭数が増加傾向にある。毎年必ず野菜や稲に被害があり、2016年度は2・3ヘクタールが荒らされた。市は今年度、1500頭を捕獲する計画を打ち出し、地元農家や猟友会が懸命に取り組む。
 行政の対応に地域住民は戸惑っている。砂防ダムの近くで子育てをする30代の女性は「逃がすのではなく、捕まえてほしい」と切実に訴える。周辺は以前からイノシシが頻繁に出没。近くに小学校があり、子どもが襲われないよう、住民は常に神経をとがらせている。イノシシの活動が活発になる夜は、子どもを外に出さないように地域で徹底するほどだ。「うろつくイノシシが増えるのは怖い」と小学生の娘を見つめながら女性はこぼす。
 現場から500メートルに住む財田勝治さん(76)は、家庭菜園で作っていたダイコンを3週間前、イノシシに掘り返されたばかり。落ちたイノシシをかわいそうだとは思うが「近隣の農家は本当に困っている。無責任に助けてとは言えない」と複雑な胸の内を明かす。
(引用ここまで)

 日本全国、イノシシは増え続け、山間地やその縁の平野部に出没するようになって久しい。
 さて、どこに住んでいる輩かしらないが、「イノシシを保護しろ! ましてやイノシシを食うとは何事ぞ!」と、いきり立てる。
 じゃあ、そんなあなた、同じ生き物であり、それも極めて近い種のブタは食わないのか。ゴリゴリのイスラム教徒なら許せる発言だが、ブタを食う人間には、そんなこと言う資格なしだ。
 実に腹が立つ、自然保護主義者である。イノシシやブタどころか、鶏肉も一切食うのを止めてから鳥獣保護を言え。野生動物も飼育動物も全く違わぬ生き物なんだぞ。
 北九州市の市長さんよ。地元猟友会に指示して、ズドンとやっちゃいなよ。そして、市長も猪鍋をつつくのである。これが正しい行政の姿だ。

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庭先に埋め込んでおいた夏大根を盗まれる [事件]

 毎年、夏大根を栽培し、食べきれないから、収穫終盤には保存のため、畑に埋め込んでおくことが多い。
 保存場所は適当に空いた所を使っているが、今年は、甘夏の木の陰になる場所、今の堆肥場の隣(以前に堆肥場としていた箇所で、今は甘夏の根を伸ばさせている)に、鍬で少々土退けし、3本並べて埋め込んだ。
 そのつもりでいた。
 さて、9月17日にハゼを釣ってきたから、てんぷらにし、大根おろしを天つゆにたっぷり入れて食べようと、埋めておいた大根を掘り出しにかかった。
 ところが、あるべき大根がもぬけの殻。
 “どこか別の場所に埋めたのかなあ…。どこだっけ? 埋めたつもりでいただけで、埋めてなかったのか? 古希を迎え、ボケが来た?”
 そのときは、そのようにあきらめたのだが、だがしかし、たしかに埋めた記憶があるから、今日、鍬で深く掘ってみた。でも、あとかたもない。
 農作業日記を見てみると「(8月26日)畑に残っていた3本を甘夏の陰に埋め込んでおいた。」とはっきりと書いてある。
 土壌細菌が1か月できれいさっぱり分解しきったとは考えられない。
 残るは、泥棒である。なんかの動物が掘り出して持ち去ったとは、決して考えられない。これはやはり人間が盗んだのだ。というのは、
 大根を埋めたときは薄っすらと土をかけ、雨に当たってしわが寄ったダンボール(堆肥場の雑草抑え)を、大根の雨除けに被せておいた。傍目から見れば、何かが下に置いてある、と思える状態である。
 そのつもり、というものではない。はっきりと記憶にある。8月26日以降、何度もその場所の際を通っており、9月17日までダンボールは確かにそこにあった。
 いやーあ、恐れ入った。だれが入り込んだのだろう。
 隣が公園であり、いろんな人がやってくる。その隅っこにトイレがあり、利用者もけっこうある。大根の埋め込み作業がトイレからは丸見えだ。
 だれかがそれを見ていて、泥棒した可能性が大きい。
 真夏にはトマトを収穫しようとして、“あれっ?今日は何個か収穫できるはずが全然収穫できないじゃないか!”ということがマレにある。
 これも公園利用者が泥棒したのだろう。
 もっと奇妙なことが何年か前にあった。良品の里芋の子芋を1畝(約7m)に直植えして栽培しようとした年のことである。何日も経ち、そろそろ芽吹いてもいいのに全然芽吹かない。どうなっているのかと掘ってみたら、芋がない。隣も、その隣も、ずっと全部掘っても芋が全くない。何かの動物の仕業ではない。畝が全く荒らされていないのだから、人間に決まっている。とんでもない泥棒がいたものだ。
 今回の大根もそうである。まずは頭にくる。特に今回は、古希を迎えてボケが来たのかと、余計な心配までさせやがって、である。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
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ふるさと納税の寄付金を基準財政収入額に算入すりゃいい、でも決して抜本的解決にならず [公共]

 野田聖子総務相は9月11日、ふるさと納税制度を見直す方針を正式に表明した。過度の返礼品を出している市町村に対する度重なる総務省からの見直し要請に応じなかったからだ。
 といったニュースが流れている。
 そもそもこの制度「ふるさと納税」には大きな欠陥がある。
 以下、順を追って説明しよう。

 市町村行政で一番重要な仕事は、いかにして税収を上げるがであり、優秀な首長は企業誘致を成功させる。これによって法人住民税と固定資産税(土地、建物だけでなく、設備も課税対象)の大幅な税収増加が期待できるからである。
 だがしかし、これによって毎年10億円の税収があったとしても、実質上の収入増加は25%の2.5億円にしかならない。でも、これだけの収入増があれば行政サービス強化や新たな地域振興策を起こす原資として貴重なものとなる。

 なぜ25%か、これを説明しよう。
 日本のほとんどの市町村は財源不足しており、毎年国から地方交付税交付金をもらっている。
 その計算方法は次のとおり。
 基準財政需要額ー基準財政収入額=地方交付税交付金
 基準財政需要額は個々の市町村ごとに毎年都道府県が細かく計算し、最低限の行政需要に応えることができる額である。
 基準財政収入額は、法定普通税を主体とした標準的な地方税収入、これも毎年計算され、その総額の75%の額を言う。
 そこで、例えばA市の基準財政需要額が100億円で、標準的な地方税収入が100億円とした場合は基準財政収入額が75億円となるから、地方交付税交付金は25億円となる。よってA市の収入は125億円となり、最低限の行政需要100億円以外の独自の行政サービスや地域振興策に25億円を使うことができる、という仕組みになっている。
 同規模の基準財政需要額となるB市の標準的な地方税収入が40億円であったならば、基準財政収入額は30億円となり、地方交付税交付金は70億円、B市の収入は110億円となり、独自の行政サービスや地域振興策に使える額は10億円にしかならない。
 なお、財政力指数という物差しがあるが、これは基準財政収入額を基準財政需要額で割ったもので、A市の場合は0.75、B市の場合は0.3となる。市町村の全国平均は、約0.5。

 少しでもよりよい行政サービスや地域振興策を行うには、財政力指数を上げねばならず、つまり冒頭で言ったように企業誘致を成功させるなどして税収を上げるしかないのであり(もっとも実質上の税収増加は25%しかないが)、ここで市町村間の競争が行われるのである。もっとも、このような奇特な首長はまれにしか存在しないが。

 さて、ふるさと納税制度が始まって久しいが、ふるさと納税は「臨時の寄附金」の扱いとなり、「標準的な地方税収入」に算入されない仕組みになっている。同じ「納税」でありながら、その扱いが全く異なる。
 こうなると、首長にとって「ふるさと納税」ほどおいしい餌はないことになる。10億円のふるさと納税が手に入れば、丸々10億円が使えるのである。地道に汗をかきかき企業誘致して10億円の税収が入っても、交付税が7.5億円減るから、実入りは2.5億円。一方、ふるさと納税の場合は、市町村公式サイトにデカデカと「ふるさと納税をお願いします。豪華返礼品差し上げます。」とPRするだけでいいのである。ホームページ制作会社に100万円の委託費を払えば、かなりインパクトのあるページができるであろう。首長の中には、動画も入れて1千万円で委託するか、ということもあろう。
 そして、返礼品である。返礼品をケチっては、わずかのふるさと納税しか入らない。ここは大判振る舞い、ふるさと納税額以上の返礼品を送ったら赤字になるが、納税額の半分を返礼品に使っても5割の実入りだ。じゃんじゃん返礼品を出そう。
 商魂たくましい首長となれば、必然的にそうした行動に出る。どこが悪い、である。

 こんなことは当初から予想されていたことである。これが問題となってきて、次のとおり制度改革の提案をした市町村がある。それを総務省のサイトから引用しよう。
 幸田町 (愛知県)
 提案:ふるさと納税の寄付金を基準財政収入額に75%算入する。
 理由:ふるさと納税の寄付金獲得のため に制度を乱用し不適切な競争に発 展している。ふるさと納税の寄付金を基準財政収入額に75%算入することで適切な運用を確立したい。
 これに対する総務省の回答は次のとおり。
 基準財政収入額は、法定普通税を主体とした標準的な地方税収入である。したがって、ふるさと納税による寄附金については、基準財政収入額に算入しないこととしている。

 総務省は少なくとも、この幸田町の提案を飲むべきだろう。
 しかし、この場合にあっても、ふるさと納税額の25%が実質の実入りとなり、ふるさと納税額の実質の実入りの半額の返礼品、つまり12.5%の返礼品を出しても、うまみがある、止められない、となってしまう。
 これをいかにして止めるか。走り出してしまっているふるさと納税制度であり、もはや解決策はなさそうである。総務省が「一切の返礼品はダメ。領収はがきの郵送しか認めない」という強権的なお達しでも出せば別だが、そこまでの通達は地方自治法の精神に抵触して、できないであろう。
 残された道は、制度廃止しかないことになる。でも、これができそうでできない、それが日本という国。いやになります。
 県職員時代に、多少とも市町村財政指導に当たったことがある小生である。地道に企業誘致に力を入れ続けている首長、商魂たくましく合法的に県職員に賄賂を毎年贈り続ける首長、そういった首長を見てきて、どうしようもない今般のふるさと納税問題について、腹立たしさを覚えます。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
 詳しくは、下記の記事をご覧ください。
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東日本大震災の震源となった福島沖地震はかなり危険視されていたのに… [事件]

 この記事は、別立てのアメーバブログで先ほど投稿しましたが、このブログでも再掲することにします。あまりにも腹立たしい思いをしたものですから。

 2011年3月11日に発生した東日本大震災。その震源である福島沖がかなり危険視されていた、という話は、複数の地震学者が、地震が起こる何年も前から主張されていたことを、東日本大震災直後に耳にしました。
 そのときは、一部の学者だけのことで、これはオーソライズされていないと思っていました。
 しかし、そうではなかった!
 それを次の記事で知りました。

 2018.8.23配信の「Yahoo!ニュース 特集」木野龍逸氏の「真っ当な対策があれば、原発事故はなかった」 地震学者・島崎氏が見たもの

 インタビューに応じた東京大学名誉教授の島崎邦彦氏(72)とのやり取りをもとにしたもので、要点は次のとおりです。

 島崎氏が「本当に大きな地震」を研究していたのは、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)において、である。島崎氏は地震本部で、2012年までの17年間にわたって「長期評価部会」の部会長を務めた。
 長期評価部会は、どんな役割を担っていたのだろうか。
 「過去にどういう地震が起きたのかを議論し、今後に起こる可能性を評価する部会です。論文などのほか、古文書も使い、歴史上の地震を分析しました。評価対象は、マグニチュード7程度の非常に大きな地震です。
 島崎氏らのグループは2002年6月、「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」を取りまとめ、三陸沖から房総沖のどこでも巨大な津波を伴う地震が発生する可能性がある、と指摘した。
 その報告書は翌7月、親会議の地震調査委員会で承認、決定された。

 ここまでは何も問題は起きていない。
 おかしなことが起きたのは、その後だったという。
 「(報告書などは)内容が決まると早ければ同じ週か、翌週には発表されていた。ところが、あのときは2週間経っても発表されなかったんですね」
 すると、7月26日になって、地震本部事務局の担当者から島崎氏にメールが転送されてきた。元の発信者は内閣府の防災担当者。福島沖などで地震が起きる保証はない、として報告書を批判し、発表の先送りか、前書きに一文を追加するか、どちらかを選ぶよう求めていた。
 追加の文案はこうだった。
 『なお、今回の評価は(中略)限界があることから、評価結果である地震発生確率や予想される次の地震の規模の数値には誤差を含んでおり、防災対策の検討など評価結果の利用にあたってはこの点に十分留意する必要がある。』
 結局、前書きに(あの文章は)追加されました。

 政府に「中央防災会議」という組織がある。会長は内閣総理大臣。防災行政の総本山で、関係閣僚らが委員を務める。ここに2003年7月、「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会」が設置され、島崎氏もメンバーになった。
 中央防災会議の専門調査会は2005年、過去に巨大地震や津波の記録がなかった福島沖については、今後も大きな地震は起きないとして検討対象から外した。
 今後も再び起きる可能性を「否定できない地震」に備えるべきだとした長期評価とは全く異なる方針である。
 しかも、この方針を入れることに強く反対していた島崎氏が欠席した会合で決定してしまった。

 もし、中央防災会議が長期評価に沿った対策を決め、福島沖でも巨大津波を伴う地震が発生する可能性を直視して宮城県南部や福島県でも防災対策を進めていたら、どうだったか。

 2002年にできた「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」から9年後、地震本部地震調査委員会は改訂版の「第2版」を作成した。
 初版の後、地震本部と複数の大学、研究機関が連携した研究により、貞観地震(869年)による巨大津波の痕跡が判明した。その巨大津波は、宮城県から福島県にかけて陸地深くまで入り込んでいた。福島第一原発の立地エリアもそこに含まれている。
 だから第2版は、このエリアでの防災対策に留意すべきだ、という項目も追加した。
 島崎氏によれば、第2版は、東日本大震災の2日前、2011年の3月9日に地震本部で決定して公表し、その日の夜にはテレビのニュースで報道される段取りだったという。

 ところが、再び「横やり」が入る。
 2月中旬、地震本部の事務局から島崎氏に「決定を1カ月延期したい」という連絡が入った。
 「3月の会合では決めることが多いから、という理由でした。私もそのまま了承してしまった」
 地震本部はなぜ発表を延期したのか。
 政府の事故調査委員会報告書などによると、報告書案を電力会社や経済産業省の原子力安全・保安院(現・原子力規制委員会)に事前に見せ、その後、貞観地震の記述などに関して信頼性を下げるような修正を加えていたことが分かっている。
(引用ここまで)

 なお、東京電力の元会長ら旧経営陣3人を被告とする刑事裁判の証人席で、島崎氏は第2版の発表遅れによって「多くの命が救われなかった。責任はあると思った」と声を詰まらせた。
 とのことです。
 そして、同証人席で、「長期評価に沿って防災対策をしていれば1万8000余りの命が救われただけでなく、原発事故も起きなかったと思います」。
 とも言っておられます。
 なんともやるせない、悲しい出来事。
 本来、刑事裁判にかけられなくてはならない人物は、横やりを入れた組織の長や官僚にありましょうや。

<備考:この“腹たち日記”の目的>
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このブログの趣旨=怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう [きっかけ]

 このブログを立てたのは2013年10月2日。誰しも頭に来ることがあります。でも、いつまでもそれを根に持って、イライラしたり、どこかに八つ当たりしていては、自分が損するだけです。
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
 詳しくは、別立てブログの下記の記事をご覧ください。

    クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう

 小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにしています。
 でも、最近は、あまり腹がたたなくなりました。これも、このブログを立ち上げたお陰か? 

ぶどうの葉に芋虫が付いてかなわん [仕事のこと]

 2016年10月にぶどうの苗木を購入した。品種は最新品種で一番人気の「シャインマスカットP」である。翌年2017年には、苦労してぶどう棚作りをした。そして、夏の間に順調にツルを伸ばし、頼もしくもあった。
 ところが、9月下旬に隣の梅の木にイラが大発生し、農薬「パタン」1500倍散で消毒したが、一度では全滅させることができず、加えて、知らぬ間にぶどうにもイラが移って、ブドウの葉を食いだした。そこで、再度梅の木の再消毒とぶどうの消毒を行った。
 しかし、イラはしぶとい。生き残りがけっこうおり、再消毒するも、それでも死なない奴がいる。そこで、まだ幼木だから、葉を1枚1枚点検し、棒で叩き落した。
 これで一件落着するも、葉がだいぶ食われ、樹勢は随分と落ちた。
(2018年6月19日)
 さて、翌年の今年。5月半ばには若葉が順調に付きだしたものの、葉が部分的に黄変してきた。去年はきれいな葉だったのに、どうしたものか。毛虫など目に見えるものは一切付いていないので、病気が付いたのかもしれぬと思っていた。
 その後も状況は変わらず、加えて、葉っぱの所々が虫に食われるようになった。でも、近づいて見ても、毛虫などは全く見当たらない。
 それから1か月近くたった今日、6月19日、葉っぱの食われ方がより深刻なものとなっているのに気が付いて、再び近づいてじっくり見てみたら、葉っぱの裏に芋虫が付いている。これもあれも、である。前回、見落としたのか、別の芋虫か。それは分からないが、葉を1枚1枚点検し、ハサミの先で摘まみ、下草の中に捨て込んだ。まさか支柱を這い上っていくことはなかろう。
 2種類の芋虫が30匹はいただろうか。うち1種類は1匹のみ。
 芋虫を見つけるのが遅れた小生がいかんのだが、2年連続して葉っぱを虫に食われるなんて、ほんと頭にくる。芋虫のクソ馬鹿野郎!
(6月21日追記)
 今日再度見てみると、まだ芋虫がいる。ほとんどは2日前と同じ芋虫だが、違う種類の芋虫と毛虫が各1匹、合計10数匹おり、手で摘まんで捨てる。
 いい加減にさらせ、芋虫たちめ!

<備考:この“腹たち日記”の目的>
 怒りにしろ何にしろ嫌なことは早く忘れるに限ります。その一番の方法は「紙に書く」ことだと教えられました。それを教えてくださったのが、「みやざき中央新聞」編集部の西畑良俊さん。(2013年9月16日号の「取材ノート」の記事)
 詳しくは、下記の記事をご覧ください。
    クリック ⇒ 怒りは「紙に書いて」しっかり解消しよう
 小生とて、腹が立つことは度々あります。そうしたときは、このブログに殴り書きして(キーボードが壊れるぐらいに強く叩いて)ストレスを発散することにします。
 
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